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名古屋高等裁判所 昭和42年(ネ)1068号 判決

控訴人(被申請人) 中部日本放送株式会社

被控訴人(申請人) 加藤剛

主文

本件控訴を棄却する

控訴費用は控訴人の負担とする

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の本件仮処分申請はこれを棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上並びに法律上の主張、証拠の提出、認否、援用は、次に附加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(被控訴代理人の陳述)

第一、業務命令違反を理由とする本件解雇の不当労働行為性

一、四月一日付配転の不当性

控訴人会社は昭和四〇年四月一日付で一一二名に及ぶ大量の配置転換をなした。これは機構改革を伴わない配転としては最大の規模のものであつたが、会社は、「放送企業の新事態に対処するため」「職場に清新の気を吹き込むため」という抽象的な説明をなしたのみで配転の個別的具体的な理由は全く示されなかつた。

この配転は総体としていえば、客観的合理性を有する業務上の必要にもとづくものではなく、「幅広い放送人」という名のもとに遂行されている労働力流動化政策のなかで配置転換という人事権の行使が本人の同意や組合との協議を要せず、一方的に且つその理由を示さずなしうるものであることを既成事実として確立する意図(これは配転理由の説明についての態度や一貫せる団交拒否によつて明らかに看取することができる)をもつてなされたものであり、更にこれによつて合理化の進行によつて生ずる人員整理の手段としての配転に途を開くとともに、組合活動を理由とする配転の不当労働行為性を隠す効果をも指向しているものである。現にこの配転のなかには組合に対する組織攻撃と考えられるものが含まれている。その第一は、のちに詳述する被控訴人加藤(前書記長)の配転であり、第二は、広田組織部長を鳴海放送所に配転し、組合活動を実際上不可能となさしめた措置であり、第三は、遠藤組織部員(前委員長)を技師長(合理化のプランニング責任者)付に配転し、組合員の幹部不信と活動的組合役員の職場からのきりはなしを狙つた措置である。

このように四月一日付配転はその大量且つ一方的に理由を明確にしないままなされた点において、組織攻撃を含む点において極めて不当なものである。

二、加藤配転の不当性

昭和四〇年四月一日付の配置転換の中でも被控訴人加藤剛をラジオ報道部からテレビ営業部へ配転したことはもつとも不当労働行為性が明らかである。

加藤は昭和三二年四月入社後ラジオ報道部に属し、昭和三八年八月より一年間組合の専従役員をした以外は放送記者として勤務し、昭和三六年九月以降ニユース編集デスク要員の職にあつたものである。デスクはニユースの編集責任者であり、ニユースを価値判断にもとづいて取捨選択、整理し、見出しや序列を決めるなど極めて重要な職責を有するものであり、被控訴人加藤が若年にしてこの地位についたことは放送記者としての能力と将来性を如実に示すものである。

一方、加藤は昭和三七年八月組合の執行委員(法規対策部長)、昭和三八年八月書記長(専従)、昭和三九年九月民放労連東海地連書記次長の要職を歴任しているものであり、専従役員となつた経緯や重鉢巻闘争指令遵守の過程が示すように極めて良心的な責任感の強い組合活動家である。

昭和三八年七月広崎報道部長は被控訴人加藤に対し、組合役員立候補、専従就任をおもいとどまるよう忠告と称して干渉をしたけれども、加藤は結局立候補し、専従となつた。

加藤の書記長(専従)在職当時の労使間の最大の問題は労協改訂であつたが、控訴人会社は改訂を全く認めないと固執し、昭和二八年来部分的修正をへたのみで継続締結されてきた労働協約は昭和三九年三月末をもつて失効し、無協約となつた。これを契機とする会社の攻撃のなかで昭和三九年春闘は極めて激しいものとなつたが、その過程において会社は、加藤に対し、旧労働協約(それは争議予告制や争議時における会社事業場構内への立入禁止という組合の重大な権利制限を含む)と同内容の労協を締結するなら春闘責任者としての解雇をしないという裏面取引を要請したことがあつたが、加藤は毅然としてこれを拒絶した。その後団体交渉により施設協定の締結と引きかえに春闘の責任不追及が約されたためにこの時点において解雇にはいたらなかつた。

昭和三九年七月加藤が専従をおえて職場に復帰するにあたつて、会社は組合との間の「原則として原職に復帰させる」との協定にもかかわらず、テレビ進行部への配転を内示した。

しかし、組合の反対、各職場での署名活動によりラジオ報道の職場に復帰し、従前通りデスク要員として勤務することになつた。

ところが、それから半年後、昭和四〇年四月一日付の大量配転のなかにくみこまれて加藤にラジオ報道部よりテレビ営業部への配転が命ぜられたのである。しかしその理由とするところにはなんら必然性、重要性を認めることができない。

右の経過から明らかなように、会社は第一に、信念ある組合活動家たる加藤をラジオ報道という番組制作業務から排除すること、第二に、積極的に組合活動をした者に対して全く業務内容の異なる職場への配転をもつて報復し、組合員に対するみせしめとすることを目的として右配転を命じたものである。

特に指摘したいのはラジオ報道――放送記者――ジヤーナリストは一つの専門職というべきものであり、テレビ営業――番組スポツトのセールスマンとは全くその担当する業務の内容を異にし、その担当者の資質能力、性格においても異質なものであり、入社後の職務歴においてもこの二つの職場間の人事交流は極めて異例というべく、この配転は加藤の将来の放送記者としての能力の維持発展を著しく阻害するものであり、本人の希望にもとづかない限り、それは大きな精神的苦痛を与え、労働条件の上で重大な不利益を課するものであることである。それは労働契約上も問題視さるべきものである。

和歌山地裁昭和三四―三―一四判決(和歌山パイル織物事件―労民集一〇巻二号一二七頁)の「とくに技術者ないし熟練工においては過去の経歴にてらし、将来にわたる技術的能力、経歴の維持発展を著しく阻害する虞のあるような職種ないし職場への転換は、当該労働者の同意あるいは企業維持のための純粋に経済的技術的必要性がなければなしえないものと解すべきで、かかる限界をこえた転換は、使用者の裁量権を逸脱し、経済的な債権関係としての労働契約の約定を一方的に変更する契約違反の行為と解すべきである」との判示は、本件にもそのままあてはまるものである。

更に、この配転はラジオ報道のデスク要員から組合員を排除する措置の一環としてなされたものである。このことは四月一日付配転前ラジオ報道のデスク要員は組合員五名、非組合員四名であつたが、四月一日付で昇格―組合脱退、配転、デスク解任により全員非組合員で構成することになつたことにより明らかである。この措置と放送反動化との関連も忘れることができない。

三、団交拒否の不当性

前述のように昭和四〇年四月一日付配転は、配転された組合員の労働条件にかかわる問題であるとともに組合に対する組織攻撃をも含むものであるので、組合としては団体交渉を再三再四求めたけれども会社はこれを配転は団交事項ではないとして最後まで拒否しとおした。しかし配転は労働者の職種、就労の場所等の重要な労働条件に直接関連するものであり、(労働基準法施行規則第五条第一号参照)、これが団体交渉の対象事項であることは論ずるまでもないところである。

団体交渉は労働者あるいは労働組合に利害関係のある事項で、原則として使用者の処分管理権限内にある事項であればすべて対象とすることができる。経営や人事に関することも労働者の労働条件や組合の団結権等に影響を及ぼすものである以上団交の対象となるのである。

従つて控訴人会社の団交拒否はなんら正当な理由のない不当労働行為であることが明らかである。会社は現在もなお、人事異動の方針は説明するが、個々の人事について団交をする必要を認めないとの態度をとつている。このような態度こそまずなによりも反省をされねばならない。

四、本件組合活動の経過

組合は、会社がなした昭和四〇年四月一日付の組織攻撃を含む大量の一方的配転について団体交渉を再三再四求めたが、いずれも拒否されたので、リボン、腕章の着用を指令したほか、四月一日三〇分間の全面ストを行なうとともに、配転されたもののうちもつとも重要な組織攻撃と考えられた被控訴人加藤剛ほか二名に対し指名ストライキを指令し同月六日加藤剛ほか一名についてこれを解除したが、同月一六日右の加藤ほか一名に対し重鉢巻闘争指令を出したのであつた。

重鉢巻闘争指令とは全勤務中社内社外を問わず一切の除外なく鉢巻の着用を命ずるものである(控訴人会社は場合によつてはとつてもよいとの柔軟性が与えられていたと主張しているが、かかる事実はない。電通で鉢巻をとらなければ書類を受領できない、という態度に出られたので、加藤は自己の判断で鉢巻をはずして業務遂行をなしとげ、事後において闘争委員会の了解を得た。そして闘争委員会では今後かような事態が生じた場合のみ鉢巻をはずしてもよいとの了解を与えた。その後におもむいた大広では、電通と同様の態度に出られたので、鉢巻をはずして業務を遂行したのである。)。

加藤は四月一日付で報道局ラジオ報道部からテレビ局業務本部営業部に配転されたのであるが、この不当配転自体もさることながら、配転およびそれについての団交拒否に対する抗議ならびに要求貫徹のための行動を全組合員の代表として行なうべく重鉢巻着用指令が出されたのである。

加藤は当初営業外勤として勤務することが予定されていたが、重鉢巻着用指令が出された当日、須江課長が鉢巻をはずして営業見習に出るよう指示されたので、闘争指令を示して鉢巻をはずすことはできない旨答えたところ、課長は営業見習を暫時中止して内勤デスクの補助をするよう指示した。

その後、五月一七日営業部会で課長より正式に六月一日より営業内勤を担当するよう命ぜられた。従つて加藤は、重鉢巻着用指令後、営業内勤の業務に従事しており、鉢巻を着用したまま社外すなわちスポンサー代理店におもむき営業行為に従事したことはないのである。

ところで加藤が営業内勤を命ぜられたのち、重鉢巻闘争を続行している間に社外の代理店、電通、産業通信社、大広へ書類を逓送した行為が信用失墜行為として問題とされている。この関係について特に指摘したいのは次の諸点である。第一に、重鉢巻闘争が開始されて以来、会社は加藤に対して営業内勤を命ずるとともに、社外のスポンサー、代理店を訪問させることはなかつた。昭和四〇年六月八日付社長告示後にいたつて、重鉢巻闘争が続行されており、加藤が鉢巻着用指令を厳格に遵守していることを承知の上で敢えて代理店への書類の逓送が命じられた。

第二に、書類逓送は営業内勤としての本務でもないし、通常そのような業務に従事することはない。加藤に対して、かような業務を命じなければならなかつた必要性、緊急性は明らかでない。

第三に、右書類は、いずれも代理店の責任者に手交するように命じられたが、加藤は代理店責任者と面接するにあたつては、いずれも鉢巻を着用している事情を説明し、礼を失しないための配慮をなしたけれども、電通及び大広においては、鉢巻を着用していては書類を受領できないという態度に出られ、ここに業務遂行上の支障が現実化する事態が生じたので、鉢巻をはずして業務遂行をなしとげた。

第四に昭和三九年、同四〇年春闘期間中において、組合活動に対する処分留保の通告は文書によつて数十回にわたつて行なわれたのにもかかわらず、本件加藤の重鉢巻着用に関しては奇妙にも一回もそのような通告がされた事実はないのである。

以上のような諸点から、この書類逓送の業務命令は加藤に対する処分の理由を創出するために代理店責任者との連絡のもとに発せられたと考える。

加藤の行為が会社の主張するような重大な信用毀損に該当するものであれば、そのような事情が生ずることを承知の上で二度にわたつて(控訴人会社の主張によれば、代理店よりの抗議にもかかわらず)業務命令を発した上司の営業部長等の責任こそ問われねばならないであろう。右の経過は控訴人が主張する信用毀損がなんら実体のないものであることを明確に示している。

五、本件組合活動の正当性

控訴人会社は、争議状態において、組合の指令により被控訴人加藤がリボン、腕章、鉢巻等を着用したことを、信用を失墜し、業務の正常な運営を阻害する行為と主張する。争議状態において、団結を示威するためにリボン等を着用する場合、まず就業時間中の組合活動の禁止との関係が問題とされる。しかし「組合活動は労働時間外に」という市民法上の原則は就業時間中は労務を提供すべき義務があるから、職場離脱のようなこれと抵触する組合活動はなしえないというにすぎない。

また、業務上の必要から、服装上の規律を要求すること、接客関係業務において顧客に不快感を与えないよう一定の服装上の規制を行ない得ることは勿論である。

しかし、それは反組合的意識をもつ顧客が団結の示威自体に感ずる嫌悪感に対して配慮することを必要とするものではない。右のような嫌悪感を捨象して業務の運営に支障を与えるばあいでない限り、団体行動権の行使として行なわれるリボン等の着用を規制することはできない。

鉢巻を着用したまま接客にあたることは、その相手方によつてエチケツトに反するとされる面のあることは否定できない。しかし着用して接客にあたつてもその事情を説明し、礼を失しないよう配慮がなされれば業務遂行になんら支障がないはずであり、それは正当な組合活動と評価すべきと考える。かような配慮がなされてもなお業務遂行に支障があるとすれば、団結の示威自体に対する嫌悪感に根ざすものといわざるを得ない。

仮に、業務遂行に支障を与えたとしても、それは厳密な意味での「争議行為」を構成するというにすぎない(官公労働者の如く争議行為を禁止されている場合や、協約に平和条項のあるばあいと異なり、「争議行為」に該当するかどうかは重要でない。)。

控訴人会社は信用に対し損害を与えたと積極的な加害行為があるかの如く主張するけれども鉢巻の着用は単に労使の争議状態と労働組合の団結を表示するだけであり、所謂開口サボタージユとは質的に異なるものである。本件組合活動はいずれも正当な組合活動である。

労働組合がいかなる態様の組合活動を行なうかは、そのとき、そのばの現実的必要に応じ自から選択するものであり、その選択は使用者側のとつた措置、あるいは態度と密接な相関関係を有するものである。

本件組合活動の正当性を判断するについては四月一日付配転にはじまる全過程を綜合的に考察することが必要であり、さきに述べた四月一日付配転の不当性、特に加藤配転の不当性、配転に関する団交拒否の不当性を十分考慮すべきである。そして、この重鉢巻着用指令が配転のうちもつとも重要な組織攻撃と考えられた被控訴人加藤外一名に発せられた点からいつても、加藤配転の不当性がもつとも重要な判断要素であろう。

六、本件解雇の不当労働行為性

以上述べたように本件組合活動は労働組合の正当な組合活動であるから、これを理由とする解雇が不当労働行為であることは明らかである。

本件解雇が行なわれた昭和四〇年といえば、「ベトナム海兵大隊戦記」(ノンフイクシヨン劇場)放送中止、「判決、佐紀子の庭」放送中止などのマスコミとくに民放に対する政治権力介入の動きと関連して、福井放送、東京新聞、毎日放送、大映労組などとつぎつぎに激しい組合弾圧の加えられた年であるが、本件解雇もその一環である。

また、合理化の遂行を急務とする控訴人会社としても昭和三五年安保闘争以降組合活動を発展させてきた中部日本放送労働組合に攻撃を加え、その抵抗を弱めることが至上の課題であつた。

本件解雇と同時に行なわれた組合執行委員長西沢[日章]の解雇の理由は、きわめて多岐にわたり(本件解雇の理由もすべて含まれている)これらを概観すると事後措置拒否といつた民放では従来から用いられている争議行為の形態や、ワツペン鉢巻の着用といつた一般に認められている組合活動が解雇の理由とされていること、ラジオラインネツトワーク反対の組合員に対する情宣活動、市民に対し放送の実態を知らせ、地域文化や市民に結びついて放送のための共闘を呼びかけたビラの配布、ベトナム戦争反対集会等の行動への参加要請やその報告を記載した組合ニユースの配布など組合の言論活動を理由とするものが多いことが、その特徴として指摘できるが、放送の反動化、民放の合理化と組合弾圧の関係が如実に示されている。

本件解雇の不当労働行為性を判断するにあたつては右のような観点からの洞察がきわめて重要である。

第二、無許可会社設備等使用について

控訴人に於ては、被控訴人加藤が指名スト中に一般の利用に供されている本社六階の食堂で食事をとつた行為を無許可会社設備使用として問題としているが、いずれも許可が必要な会社設備の使用にあたるものではない。原判決も「従業員の日常の利用行為として許容されたものを逸脱したものではない」と判示している。むしろ、かようなものまでもとりあげて、食事中の人間に退去を求め、あるいは解雇理由にすらしようとするところに控訴人会社の反組合的、非人間的労務対策が如実に示されている。

更に控訴人会社はこの行為を施設協定違反と主張する。

問題は争議時に関する施設協定第三条である。この規定は争議時における組合の施設の使用について規定しているが、協定の交渉過程では、争議における職場滞留が問題となり、これを対象としてこの協定が締結されたものであり、組合が争議行為(同盟罷業を指す――争議時に事業場構内出入を認めなかつた労協でも怠業は除外されている)に入つた場合、その付随的争議手段としてなされる職場滞留を組合による施設の使用と観念し、右の如く規定したのである。

ここで「争議行為」というのは、当然、職場滞留が問題となりうる争議行為すなわち全面ストあるいは職場単位の部分ストを対象としているのであつて、付随的争議手段としての職場滞留ということがなんら意味をもたない指名ストの如きものを対象としているのではない。また「組合による施設の使用」というのは組合の集会の如き本来施設の使用にあたるもののほか協定成立の経緯からいつて付随的争議手段である職場滞留を含むものではあるが、一般の利用に供せられている食堂で食事をとるが如き個人的な行為を含むものではない。右の如きはいかなる意味でも組合による施設の使用とは観念し得ないものである。

第三、本件解雇の権利乱用性

仮に前記主張が採用されないとしても、本件組合活動が四月一日付の不当配転、就中被控訴人に対する不当配転及び、右配転に関する会社の完全な団交拒否を契機にこれに対する抗議ならびに要求貫徹のための行動としてなされたものであること、信用失墜行為として問題とされている書類逓送は営業内勤としての本務ではなく、加藤に対する処分の理由を創出するために代理店責任者との連絡のもとに命ぜられたものであること、加藤の責任はすべて組合の決定による闘争指令を遵守したことにもとづくものであり、これを除いては加藤に勤務上非難すべき点はないことなど、諸般の事情を考えれば、加藤に対し、この組合指令遵守を理由に懲戒解雇をもつてのぞむことは解雇権の乱用たるを免れない。

労働組合は組合員を構成員とする社団であり、組合の意思決定の基礎は全組合員にある。その決定の執行のため組合役員(執行部)が選出される。その執行部の発する闘争指令を遵守することは労働者としての基本的倫理であり、その不遵守は統制違反を構成する。だから、闘争指令に問題があれば全組合員すなわち組合が本来責任を負うべきであつて、それは労使間の団体交渉によつて解決さるべきものである。組合の民主的運営が徹底して行なわれている場合特に、この点を重視せねばならない。重鉢巻闘争の中止が二回にわたつて闘争委より提案されながら職場闘争委員会(平時の代議員会にあたる)で明記されなかつた経緯はきわめて象徴的である。このことはまた四月一日付配転に対する全組合員の怒りがつよかつたのをさすもので、このような状況のもとで、被控訴人加藤が闘争指令を遵守しなかつたとすれば、それは全組合員に対する裏切り行為である。

控訴人会社としては、問題を解決するためには、組合にたいし申入、交渉を行なうべきであつて、本件においても、会社のなんらかの誠意ある態度が示されれば全く異なつた展開がなされたとおもわれる。

しかるに会社は、団体交渉を完全に拒否しとおすとともに、鉢巻着用禁止という組合活動への介入や、加藤の処分理由の創出にのみ力をつくしていたのである。かような態度こそなによりも責められねばならない。

(控訴代理人の陳述)

第一、被控訴人の解雇の事由

控訴人会社の従業員は、その職務について上長の指揮命令に従い、通達を守る義務のあること、また、その職務の遂行については体面を汚すような行為をしてはならないことは、控訴人会社職員就業規則において明らかなところであるが、被控訴人は右義務に違反する等、控訴人会社の職場秩序を乱し、業務を妨害し、甚しく控訴人会社の信用に対し損害を与えたものである。よつて、職員就業規則第六八条に基き解雇したものであるが、その具体例は次のとおりである。

一、業務命令違反

(1) 被控訴人は、昭和四〇年四月一日付の人事異動でテレビジヨン局業務本部営業部(昭和四〇年四月一日現在で部長以下総計一四名、内管理職四名、一般職員一〇名)に配属された。営業部職員一〇名(被控訴人を含む)の業務内容は、社内業務を主とする営業デスク要員一名を除き、すべて対外的な営業セールス活動を担当することとされていた。当時営業部が担当していた対象顧客は約四一〇社余りで、うちスポンサー関係が約三七〇社、広告代理店関係が約四〇社であつた。この四一〇社余りの顧客を絶えず訪問し連絡を保ちつつ、当時いわゆる不況ムードで広告業務が沈滞している中にあつて、営業活動を継続しなければならない事情にあつたため、とくに被控訴人の早急な営業業務への習熟が期待されていた。

昭和四〇年四月六日午前一〇時すぎ頃、指名ストを解除されて初めて出勤して来た被控訴人に対し、高橋営業部長は、日常業務の上で一番関係深く絶えず接触しなければならない主要な広告代理店関係者に早速被控訴人を紹介すべく、同日午後一時頃から各代理店に挨拶廻りに行く旨を指示した。高橋部長は初対面の挨拶に連れていくため、当日スポーツシヤツ姿で出勤していた被控訴人に対し、営業部員としてのエチケツト等について説明し、洋服、ワイシヤツ、ネクタイを自宅から持つて来させ、服装を整えさせた。しかしながら、被控訴人は鉢巻を巻き、腕章を着用し、左胸にリボンを着用したままであつたため、すぐにはずすよう命令したところ、リボンを除き他のものは着用をやめた。リボンをはずさなかつたのは被控訴人の我儘ということからであつた。右リボンは、幅二センチ、長さ一〇センチの黄色の布製で、一方的配転反対、要求貫徹の文字が印刷されたものであつた。このリボンは、当日の訪問先である株式会社電通名古屋支社、株式会社産業通信社名古屋支社、株式会社三晃社では、とくに事をあらだてて、咎めだては受けなかつたものの、共同広告株式会社名古屋支社では、加藤支店長に見咎められ「なんだ、これは。こんなものをつけるのはセールスマンのすることではない。だいたい君達のストは、大名ストだ。わが社に比べて沢山の給料をもらつていて何が不足か。君は、組合の役員をやつているのか、CBCの組合のやつていることはまちがつている。スポンサー筋では評判が悪いぞ。CBCの不人気は我々広告代理店に悪い影響がある。」と叱責され控訴人会社の対外信用を失墜するに至つた。そのため、高橋部長は、その場をとりなし、早々に同社を辞したが、このため、同日はその他の広告代理店への挨拶を取り止めた。高橋部長は、帰社途中の車内で被控訴人に対し、右出来事を引用して、商売の道は決して甘くなく、社会の目は非常に厳しい等とその自重を要望する趣旨の話をした。しかし被控訴人は、翌日以降も鉢巻、腕章、リボンの着用を続けていたため、高橋部長は、やむなく挨拶廻りを見合わせざるを得なくなり、このため被控訴人を含め九人のセールス要員で分担する筈の四〇〇社以上の顧客を、被控訴人を除いた他の八人のセールスマンで分担しなければならぬ結果となり、業務支障を避けるためにはこれらのセールスマン達の仕事が過重となつた。

尚、右八人のセールスマン達はいずれも組合員であつたが、就業時間中は、職場の特殊性から、鉢巻、腕章、リボン等は一切はずして勤務していた。被控訴人は、これら同僚からも再三にわたりその行きすぎた行為を戒める説得を受けたが、これをも拒否したのであつた。

(2) 一方、高橋営業部長は、被控訴人に対する教育の方法として、管理職と行動させるより同じ訴外組合の組合員であり営業部の同僚であるベテラン・セールスマンとペアで行動させ勉強させることを考え、昭和四〇年四月一日頃から、部下の一人である年配者の沖本定雄(当時テレビ営業部職員で、訴外組合員。昭和四一年四月一日付課長代理)に命じ、被控訴人をセールスに同道させ、実際行動の体験から営業の職務を身につけさせることにした。

其の後数日間、沖本営業部員は被控訴人を連れて、矢木清商店、藤高商店、三晃社、名古屋タイムズ広告社等のスポンサー、広告代理店を廻つたのであるが、この間被控訴人は、「仕事と組合は別だ、特に営業部員としての仕事中は、組合の腕章やリボンは仕事を阻害するしひいては会社に損害を与えることになるので、現に私がとつているようにとりなさい」との沖本部員の説諭・指導に従つて、腕章、リボンははずして勤務したのである。

然るに、四月一六日に至り、被控訴人は、俄かに、重鉢巻指令なる組合指令を楯に、須江営業部課長の「鉢巻をとつてセールスにまわるように」との指示に反抗し、命令に従わなかつたので、須江課長は、やむなく、被控訴人が沖本部員とともにセールスにまわることを差しとめるに至つたのである。

尚、鉢巻は白地に「CBC労組」と黒字で染め抜かれた白い布製で、裏地が赤色である。腕章は、赤地に白文地で「団結CBC労組」と染め抜かれたものである(鉢巻は、いわゆる重鉢巻闘争の時期には裏返し着用されていた)。

(3) 五月一一日夕刻、須江営業部課長が、被控訴人に対し、「外勤活動をするには赤鉢巻の着用は困る。社の信用に関する問題であり、営業の面からも影響があるので取りはずすよう」指示したところ、翌一二日午後〇時過ぎ頃、西沢はじめ組合役員等多数が就業中の営業部デスクに押しかけ、須江課長を取り囲み「加藤(被控訴人)に鉢巻等を取りはずせと言つたのは不当労働行為だが知つているか。鉢巻をしていて営業活動ができないのか。理由を明示しろ。命令を撤回しろ。」等とくつてかかり、その場に居合わせた高橋営業部長の制止もきかず、約二〇分間須江課長を非難攻撃し、つるしあげを行なつた。

テレビ営業部は、その業務の性質上、昼の休憩時間を一斉にとる職場ではなく、この時も須江課長は所用のためスポンサー・ルームに顧客を待たせて営業部デスクへ戻つたのであつたが、右つるしあげにあつて執務も出来ず、職場の秩序ある運営を著しく害され、且つ長時間にわたつて顧客を待たせる結果となり控訴人会社の信用を失墜した。五月上旬ごろ須江課長が株式会社東山会館に赴いたところ、支配人から赤鉢巻姿をして営業活動をしている被控訴人のことを指摘され、「加藤のことは私も聞いている。営業部員だから外に出ることもあるだろうが、加藤を会館へ寄こすな。彼の鉢巻姿も論外だが、そういうものの考え方の人が私の会社へ顔を出すようなことがあれば、私の会社は君の局へ提供番組は停止せざるを得ないから承知するように。」と強く警告された。

(4) 被控訴人は、六月二日午後、営業関係の書類を株式会社電通名古屋支社内「テイールーム電通」内で商談中の高橋部長に届けた際、赤鉢巻をつけたままの服装で右商談の席に赴いたため、高橋部長が電通支社関係者等とともに鉢巻をはずすよういつたがこれに従わず、相手方に対し不快、驚愕の念を与え、控訴人会社の信用を傷つけた。

(5) (イ) 被控訴人は、六月八日付で控訴人会社社長が、会社が業務に支障を来たすと判断したときは鉢巻等の着用を禁止する旨、従業員に命令した翌九日、高橋部長からも重ねて同様の注意警告を受けたにも拘らず、鉢巻等の着用を続け、右高橋部長の鉢巻等を取るようにとの注意警告に対し、それは不当労働行為にあたるとの抗議をした。その際、高橋部長の行為が不当労働行為にあたるとの趣旨を記載した「不当労働行為罪状証明」と題する文書を作成し、これに署名するよう右高橋に求め、拒絶されると自分の業務机の上のガラスの下に右文書を置いておいた。その机の附近は出入りする者が多く、右文書はそれらの人の目につくように置かれ右の文書を読もうとすれば、たやすく読むことができた。

(ロ) すなわち被控訴人は、「六月九日午後四時五分、私は加藤剛君に対し、次の命令を発した。就業時間中代理店等、外部からの来客と直接対人接渉する場合には、たとえ社内にあつても鉢巻、腕章、ワツペンをはずせ。以上・右証明する。」とかいて高橋部長に、これに署名捺印するよう迫つた。高橋部長がこれを拒否したところ、同文書の右側余白に、赤のマジツクペンで「不当労働行為罪状証明」、左側の余白に同じく赤で「TV営業部長サイン拒否」と書き加えた。右文書は、わら半紙一枚の大きさで、赤色文字の大きさは約四センチ角であり、その他の文字の大きさは二センチないし三センチ角であり、これを自分の業務机の上のガラス板の下に、出入りする者に目立ち容易に読めるように固定したものである。

(ハ) 被控訴人の業務机の設置せられている場所は、営業部室内であるため、常時顧客が出入りし、重要なスポンサーや代理店の幹部等も一日平均数十人が来訪するところである。

そのため、来客の中には、被控訴人の度を過した行動を心よからず思い、かえつて高橋の立場に同情するものもあり、六月中旬来社した産業通信社名古屋支社(広告代理店)の幹部が「あのようなことをするのは我々の社では夢にも考えられないことだ。CBCさんは無法地帯のようで、何ともいいようがないね。」などといつたこともあつた。

(6) 被控訴人は、六月一一日頃業務上の所用のため、産業通信社名古屋支社および株式会社電通名古屋支社に赴いたが、その際、事前に高橋営業部長から訪問先では赤鉢巻等はとるように指示されていたのに、鉢巻等を着用したままの服装であつたため、株式会社電通名古屋支社町田支配人や、産業通信社名古屋支社伊藤専務取締役から「組合運動を対外的な営業活動に持ち込むな。」と苦情をいわれた。

すなわち、前記電通名古屋支社においては、丁度その場に居合わせた民放各社の支局長ら数名が被控訴人の赤鉢巻姿の異様さに驚き注目するなかで、町田支配人から「君は今、鉢巻をしているが、ここにおられる各社の支局長をはじめ、ここは室内で誰も帽子をかぶつている人などはいないのだから、その鉢巻はとつたらどうか」と注意されたのに、被控訴人は「私の方にもいろいろ都合があるのではずせない」と答えて一向にはずさず、町田支配人はさらに「他人の家を訪問し家に入る際は帽子をとつて入るのが常識ではないか、鉢巻をしたままヅカヅカと人の家に入り、穏やかに鉢巻をとつたらと申してもとらない等とは失礼ではないか」「どうしても鉢巻をといてもらえないのなら私の社では躾として他所様へ伺つた時は、その様な失礼な格好はしないようにと教育しているので、社員の教育上にも悪影響があるので出直してほしい」と厳しく抗議したが、被控訴人はそれでもなお鉢巻をとろうとせず、居合わせた人々を唖然とさせ、控訴人会社の信用を著しく失墜せしめた。

又、産業通信社名古屋支社においては、伊藤専務取締役が「君は営業部員なのだし、私の方は君の会社CBCという放送会社の取引先だ。その取引先の代表者に会いに来るのに鉢巻などを締めたままで来るなど、そんなことでいいと思つているのか。営業マンの心得を知らぬでもない筈のCBCの営業部員がそういう事では困る」と説諭したのに、被控訴人は「会社が組合の要求を聞かぬから組合としてはやむを得ない。会社が我々の要求を聞いてくれれば解決する」と抵抗し、控訴人会社の信用を著しく失墜せしめた。

これについて、同日夕刻になつて、右町田、伊藤の両名からそれぞれ高橋部長宛電話で「あれではCBCの信用を失うものだ、ああいう事が続いてはCBCからスポンサーが離れて行くことになる」旨厳重な抗議と警告があり、高橋部長は翌日両社を訪問し、陳謝し、その後控訴人会社の代表取締役である小島副社長が株式会社電通名古屋支社へ事情の釈明および陳謝に直接出かけた。なお、株式会社電通名古屋支社からは、六月二一日付で、控訴人会社社長宛抗議の書面が寄せられた。

その書面中には、控訴人会社と訴外組合との昭和四〇年における闘争が三か月余経過するも妥結に至らず、得意先関係において批判、非難の声もたかまりつつあること、控訴人会社労働組合の組合員中に、最近常規を逸した行動を散見すること、鉢巻姿のまま業務連絡に来訪した控訴人会社社員のあること、電通名古屋支社は、新聞社、スポンサー等関係者の来訪が極めて多いが、鉢巻姿で来訪した者はかつてないこと、電通社内においても組合員の執務時間中の組合活動は厳しく規制しており、社内の服務規律の維持、社員のしつけ、エチケツト向上の見地からも右の如き服装者の来社は支障があること等の趣旨が記載されていた。

(7) 六月中旬頃、控訴人の広告放送のスポンサーである寿がき屋食品株式会社社長菅木周一が来社した際、被控訴人が赤鉢巻を着用したまま執務していたため右菅木が「就業時間中、会社の命令に違反している人がふえるようでは、民間放送としてまことに困る。秘密なことの多い宣伝を安心して任せられない。私の方も取引につき考えなおす」と高橋部長に非難し、取引停止の措置もあり得る旨ほのめかした。

(8) 被控訴人は、六月一八日業務上の所用のため、広告代理店である株式会社大広名古屋支社に赴いたが、その際赤鉢巻姿のままの服装であつたため、ここでも同支社の田島支社次長とたちまち衝突した。

すなわち、田島支社次長から「訪問先の客の前にきてまでなぜ鉢巻がとれないのか。CBCの社員といえどもサービス業務ではないか。たとえば、デパートでも銀行でも組合闘争はあるが、店員が鉢巻姿で物を売り、行員が鉢巻姿で客に接しますか。少くともお客には接客らしい態度をしてもらいたいものだ。元来、鉢巻姿というものは仇討ちの象徴ではないか。これを一歩ゆずつたとしても帽子の類であろう。訪問先の室内で、帽子もとらずに話をすることは無礼というものだ」と強く諭されたのに、被控訴人は「これは組合の指令により組合活動としてやつているのだから私に云つてもらつても困る。むしろ早く妥結するように会社に云つてほしい。そうすれば、この鉢巻も解決する」と抵抗し、控訴人会社の信用を著しく失墜せしめた。

これについて、同日中に、右田島支社次長から高橋部長に電話で、「今後、あのような非常識な行為をする者のないように」と強硬に抗議があつた。

このような抗議が行われたのには、広告代理店である大広に対し、そのお得意先であり、且つCBCのスポンサーでもある大須ういろ本舗の山田副社長から「このあいだ用があつてCBCに行つたところ、鉢巻の連中があちこちにおつて、お客らしい人達とも話をしていたが、あんな不快な思いをしたことはなかつた。CBCの社員達は少々思いあがつているのではないか。こうした社とは取引もしたくないくらいだ」との苦情があり、且つ大広としても、CBCとは密接な関連企業であるので、大広の社員があのような不逞な態度をすることになつては困るので伝染を防ぐ意味においても、これを回避することは出来ぬという事情があつた。

尚、被控訴人に対する訴外組合の重鉢巻闘争指令には、この時点においては、場合によつてはとつてもよいとの柔軟性が与えられていたが、それにも拘らず、被控訴人は鉢巻をとらずに前記大広名古屋支社へ赴いたものであつた。

以上(1)乃至(8)の如き経緯により控訴人会社は営業活動上重大な危機に陥つたため、高橋営業部長は勿論テレビ局長である伊串取締役、営業担当である中村常務取締役、それに代表取締役小島副社長まで総動員して、五月頃から、広告代理店やスポンサーなど関係筋に陳謝してまわり、信用回復に奔走した。

尚、被控訴人は、「書類逓送は営業内勤としての本務でもないし、通常そのような業務に従事することはない」と主張しているが、被控訴人に委託された営業部におけるスポンサー・広告代理店への書類の送達・交換は営業部員としての当然の業務であつて、特に被控訴人のみに対して命じたものではない。

又、被控訴人に右書類を送達することを命じた時には他の職員がその時営業部席に居なかつたことは、被控訴人も之を認めるところである。

更に、念のために附言すれば、被控訴人主張の「営業内勤」なる職種は控訴人会社営業部においては当時存在しない。即ち控訴人会社では、昭和三八年一一月の機構改革によつて従前テレビ営業部を構成していたセールス機能の業務課(外勤営業と通称されていた)と、セールス完了後の連絡事務機能の連絡課(営業内勤と通称されていた)が解体され、テレビ営業部にはセールス機能のみが期待され、従来連絡課が果していた連絡事務機能部門は、編成連絡課となつて営業部以外の部である編成部に帰属することになつた。つまり、セールス機能に属する業務はすべて営業部に属することになつたが、その反面、営業部内において「内勤」と「外勤」とが従前の例に従つて、職務を区別するという事実は存在しなくなつたのである。

二、無許可会社設備使用

包括的労働協約が昭和三九年三月末をもつて失効した後、労使双方の交渉の結果、昭和三九年六月二三日成立し翌年すなわち昭和四〇年六月二二日までの一年間効力を有した協定書(所謂施設協定)によれば、争議行為中の従業員である組合員について、争議行為中でも利用出来る会社施設が特定され、それ以外の会社施設の利用を控訴人会社が許容しないことが規定されていた。

それによれば、控訴人会社のCBC会館本館六階の会社施設である食堂は、争議行為中の従業員である組合員の利用出来ないものであることが明確になつている。

この点は、右所謂施設協定締結の際の労使交渉の過程で問題となり、訴外組合が右食堂を争議行為中の従業員である組合員にも利用させよとの要求を出したのに対して会社はこれを認めず、結局右食堂は争議行為中でも利用出来る会社施設の中には入れない形で右所謂施設協定が成立したものである。

この間の事実は、所謂施設協定の成立月日ならびにその内容と昭和三九年六月一九日付組合ビラを対比させれば、何人にも容易に認められるところである。

まして、右所謂施設協定成立当時訴外組合の書記長であり、右組合ビラの発行責任者でもあつた被控訴人は、右事実を絶対忘れられぬ状況にあつたはずである。

而して、昭和四〇年六月頃の実績において、控訴人会社本社に勤務していた従業員数約七〇〇名に対し右食堂の昼食供給実数は平均一日僅かに一四五昼食数であつたのであつて、その他の大多数の者は昼食を右食堂以外の社外で摂つていたのである。そしてこの傾向は、昭和四〇年四月一日当時も概ね同様であつた。

このような訳であるから、争議中、争議行為者は食堂を利用し得ぬとする所謂施設協定のため、当該争議行為者が昼食を摂ることに困難を感ずるという事情はいささかも存しなかつたのである。

被控訴人は、昭和四〇年四月一日午前一〇時、訴外組合員の一人として全面ストに加わり、さらに同日午前一〇時三〇分からは指名スト参加の一員として争議行為を行なつていた。(被控訴人の右指名ストにつき、控訴人会社は、昭和四〇年四月六日午前一〇時、訴外組合より指名スト解除の通告を受けた)

然るに被控訴人は、右の如く、所謂施設協定によつて会社施設の一つである食堂を利用出来ない状況にあつたにも拘らず、故意に協定違反の行為を繰り返して控訴人会社の企業秩序を全く否定する態度に出たのである。即ち、

(1) 被控訴人は、昭和四〇年四月一日午後一時頃、本社本館六階の食堂に立入り、食事をした。同所に居合わせた控訴人会社常務取締役安藤春夫が、食堂に侵入して来た被控訴人を発見し、争議行為中だから労使間の施設協定により直ちに退去するよう繰り返し注意警告を与えたが、被控訴人は「組合の指令である」と云つて右注意警告に従わず居座り、そのまま食事をした。

(2) 昭和四〇年四月三日午後一時三〇分頃、右(1)の場所に、被控訴人および訴外遠藤重夫が立入り食事をした。その際、控訴人会社人事部勤労課長田沼良一がこれを発見し、「スト中の者(当時両名は指名スト中であつた)がここに立入ることは施設協定違反である。即刻退出するように」との注意を与えたところ、右両名と居合わせた訴外西沢委員長はこもごも「組合の闘争指令によるものである」旨抗弁して右注意退去要求に従わず居座り、そのまま食事をした。その後訴外遠藤は、食事をとりながら「反動がウヨウヨしていてメシがまずくなる」等と暴言を吐いた。

第二、解雇事由となつた行為の違法性

一、業務命令違反行為の違法性

(一) 被控訴人加藤の解雇事由となつた業務命令違反行為が、到底正当化されない強度の違法性をもつた、換言すれば、企業秩序維持のためには解雇する以外に途のないものである事実を明らかにする。

(1) 被控訴人の行為は就業時間中の違法な組合活動である。

就業時間中の組合活動がそもそも違法であることは夙に裁判所の明示するところであり、学説においても争いがない。これが大原則である。

ただ、極めて厳格な要件を設定して、僅かに例外を考えるにすぎない。

而して、被控訴人の行為は、勿論、右の如き例外にも該当しない悪質なものである。

(2) 被控訴人の行為は雇傭契約上の義務違反であり、且つそれが故意に反覆累行された点で、違法性が大である。

就業時間中、雇傭契約に従つて労務を提供すべき義務のある被控訴人が、誠実に右義務を履行しなかつた事実は既に控訴人会社の主張している通りである。

被控訴人は組合活動に藉口しようとしているが、その違法であることは前記の通りであり、服装を整え礼儀を守るという営業マンとしての最低限度の就労意思さえ示さなかつた事実は、被控訴人において、雇傭契約上の誠実勤務の意思を全く有しなかつたことを示すものである。

(3) 被控訴人の行為は、再三の業務命令を故意に排除したもので、違法と云わねばならない。

控訴人会社において被控訴人に対し問題の鉢巻をはずして勤務するよう命じたのは、就労義務の誠実な履行を求めたものであるし、同時に、営業マンの職務遂行上最低限必要な服装態度を確保するための業務命令である。

けだし、対外折衝にあたる営業マンは、元来その服務規律を厳正に保持し、いやしくも相手方に対し聊かも不安・不快の感を与えない程度の注意を払わねばならぬことは社会常識上当然であるし、右業務命令の正当なことは、前記(1)、(2)項で述べた通りである。

被控訴人には、右業務命令を遵守出来ない緊急事情は全く認められないし、同人の属する訴外組合も同人に対し右業務命令に服すべき充分余裕のある自主性を与えていた。即ち、被控訴人はすべて訴外組合の闘争指令を遵守したことに基づく旨主張しているのであるが、重鉢巻闘争指令は、被控訴人自身も認める如く、やむを得ざる事由あるときは之をはずすことが出来る旨の訴外組合の許容条件が附されていたのである。

然るに、被控訴人は、敢えて再三にわたつて業務命令に違反したのである。これは、業務命令の遵守が極めて容易であるにも拘らず、故意に繰り返し業務命令に違反し、もつて控訴人会社の企業秩序を根底から破壊したものである。かかる被控訴人の行為は、その違法性が極めて大であると云わねばならない。

(二) 被控訴人の解雇事由となつた行為は、前述の通り控訴人会社の企業秩序を破壊すると同時に、控訴人会社の営業活動の分野における信用を著しく失墜させたものである。

控訴人会社は、広告媒体である放送電波を商品として販売し、これを唯一の収入源としている。

ところで、商品としての放送電波の媒体価値は、ステーシヨン・イメージ(公衆の放送局に対する心情的評価)や視聴率の総合的実績、放送局としての生産能力等の総和をもつて構成されるが、これが広告業界において定評を獲得するに及んでその放送局の営業活動の分野における信用(営業上のステーシヨン・イメージ)を形成する。放送会社のスポンサー・広告代理店との商取引は、この多分に人の心情に依存する信用と慣行によつて行われ、この信用が失われれば、それを理由に全く一方的に取引が解消されるに至る。尚、この信用には、スポンサーの広告計画の秘密を守る秩序ある放送局であるとの信用も当然に含まれる。

このような事情にあるため、控訴人会社は、広告代理店・スポンサー等顧客の取扱いについては、事業経営上、格段の配慮をなさざるを得ないものである。

このため、特に、右信用を背景ないし基盤として、直接これらの関係者と日常接触し営業活動を行なう従業員(営業マン)は、これらの関係者に対する折衝・接遇について遺漏のあることは許されず、厳正に服務規律を保持し、格段の努力を為すべきものである。

元来、広告計画の秘密漏洩を極度に警戒するスポンサー・広告代理店等の広告業界では、些細なことについても警戒心が極めて敏感であるので、前記の如く、秘密を守る秩序ある放送局であるとの信用は絶対これを堅持しなければならない。然るに、営業マンである被控訴人の行為は、右秘密保持の点より、単に被控訴人のみの問題にとどまらず、顧客に対し甚だしく控訴人会社全体としての企業秩序の弛緩を感ぜしめ、秘密保持につき不安・疑惑を抱かせ、この面からも控訴人会社の営業活動上の致命傷とも云うべき信用失墜となるに至るのである。

しかるに被控訴人は、組合活動の目的・手段の限界を逸脱して、赤鉢巻によつて控訴人会社の顧客の心理的圧迫を企図し、職務より組合活動を優先させて控訴人会社の指揮命令権を排除し、故意に控訴人会社の信用を毀損した。これは明らかに組合活動の限界をこえた違法行為であつて、その行為の招来した結果の重大さからすれば、企業秩序維持のため当然解雇されるべきである。

(三) 控訴人会社が、被控訴人の右違法行為によつて、如何なる信用毀損を受け業務阻害の重大な結果を蒙つたかを明らかにする。

(1) すでに述べている通り、控訴人会社は、商業放送を行なう企業であつて、これを説明すれば、電波を使用した広告の媒体価値を売り、それによる広告収入を唯一の収入源とする会社である。

右広告の媒体価値とは、一つの商業放送局がスポンサー又は広告代理店から受けている放送に関する実績に対する評価である。

その媒体価値は、〈1〉ステーシヨン・イメージ(公衆の特定商業放送局に対する評価、信頼、好み等の心理的結合である内心的現象)、〈2〉聴取又は視聴率の総合的実績、〈3〉放送局として有する生産能力及び関連事実、以上〈1〉〈2〉〈3〉の総和をもつて形成されると云われている。

右の如き特定の商業放送局の有する媒体価値は、広告業界において定評を獲得するに及んで、それは商業放送局の営業活動の分野において、その局の信用を形成するものとなる。(控訴人会社が被控訴人のため毀損された信用とは、この信用が最も大である。)

(2) 商業放送局のセールスマンは、右信用を背景ないし基盤として且つその信用を維持向上させながら、営業活動を展開すべき職責がある。

一般に、企業である商業放送局の信用の重要性と効用について、「広告放送契約は………(中略)………実際にはほとんど電話一本で申込が行われ、信用と慣行によつて取引されている……」(契約法大系VI殊の契約(2)広告放送契約参照)と云われている。

従つて、セールスマンの右職責の遂行如何によつては、将に商業放送局の存在を左右すると云うべきである。

(3) しかるに被控訴人は、業務命令違反をおかしてまで右職責を放棄し、控訴人会社の営業活動の中に違法な組合活動を持ち込んで、スポンサー・広告代理店等の対外的関係者に不快嫌悪の情を起させたのは、控訴人会社の業務の円満な遂行を故意に妨害したと云うべきである。

何故ならば、控訴人会社とスポンサー・広告代理店との間の取引は、前述のように信用と慣行によつて行われ、相互間の信頼が失われれば、それを理由にして全く一方的に取引が解消されるに至るので、控訴人会社の営業活動を担当する者は、顧客に対し、相手の心情に充分留意し不快嫌悪の念を与えるが如き態度をみせてはならない。まして、営業と関係のない自己の主張を強調して心理的圧迫を加えるようなことは、絶対に慎しむべきことである。これが控訴人会社のセールスマンの最少限の職責でもある。

このように、取引当事者相互間の心情の尊重は取引の前提条件であり、その前提を守ることは相手に対する信用を維持することをも意味する。と云うのは、「放送会社は常に代理店を媒介してスポンサーと交渉をもち、会社とスポンサー間の一切の紛争処理は代理店を通じてなす」と云われ、又、「有力な総合代理店はスポンサーの宣伝広告一切を引受けて一括委任され………」とも云われているように、広告代理店の取引当事者としての地位は絶大であり、一方、スポンサーの中には控訴人会社のセールスマンに対し商品販売の秘密事項にわたつて説明し、より効果的な取引を行おうとする者もいる。このような広告代理店とスポンサーの仲に立つて職務を遂行する控訴人会社のセールスマンは、云わば潤滑油的存在でもあり、常に自己抑制を自覚していなければならないし且つ顧客もそれを信頼し期待している。それでこそはじめて、控訴人会社が有する前記の如き信用の下に慣行による取引を成立させることが出来るわけである。

(4) 被控訴人は、この見易い道理を、上司・同僚の説諭指導をかえりみることなく頑迷に拒否し、顧客に対しその心情と信頼を無視して控訴人会社の信用を毀損したが、これは一般人の理解出来ぬところであり、控訴人会社の予測を誤らせ、期待を裏切るものであつて、控訴人会社の業務の経営を故意に阻害したものと云わざるを得ないのである。

被控訴人は、右のように故意に控訴人会社の信用を毀損して業務を妨害したが、前述の上司に対する名誉毀損という犯罪行為によつて職場秩序を破壊した点も考えあわせると、控訴人会社の企業秩序維持のために解雇されるのは、むしろ当然である。

(四) 被控訴人の営業部への配転の経緯及び配転の正当性

被控訴人は、前記違法行為を繰り返すに当つて、営業部への配転の不当性なるものを強調するかの如くである。しかし、被控訴人の配転は次に述べる事情によるものであつて、何等不当といわれるものではない。

右事情は、普通の弁識能力を有する者にとつて容易に理解出来るものであるのに、被控訴人は頑強に自説を固執し、理解することを拒否したのである。

(1) 控訴人会社は、昭和四〇年四月一日付で、被控訴人に対しテレビジヨン局業務本部営業部勤務を発令したものであるが、この時の人事異動の人数は一三四名であつた。従前においても、この程度の人員の異動は行われていたものであつて異例なものではない。

(2) 控訴人会社と訴外組合との間に労働協約が存在していた時代においては、組合員である従業員の異動については、その異動の方針ならびにその人名を労使協議会に諮り、且つ異議のある場合は訴外組合より意見を述べることになつていたものであつて従来この方式に従つて人事異動は行われていたものである。

昭和三九年三月末日をもつて労働協約は失効し無協約となつたのであるが、昭和四〇年四月一日の人事異動においても、控訴人会社は従来の方式にのつとり労使懇談会において同年三月九日、三月一一日の両度にわたり訴外組合にその方針と人名を発表したものである。

右の通り控訴人会社は労働協約有効の時と同じく労使懇談会に於てその人事異動の方針を説明しているのであつて、個個の人事について団交をする必要を認めない。

使用者の有する経営権特に経営権のうち人事に関する権利は、使用者の専権に属するものであつて、特に労働協約等によつて制限されている場合を除き、その濫用に非ざる場合においては何ら他より制限を受けるものではない。

従つて、個々の従業員の異動について、団交を拒否することは何ら不当ではない。

従来も、人事異動に際し個々の異動対象者の具体的理由などは示されたことはないのであつて、昭和四〇年四月一日付の異動も亦同様であつた。

(3) 右人事異動の必要性ならびにその方針については、目前に迫る放送法の改正が日本の放送の今後のあり方に変ぼうをもたらす第一歩であるとの認識から、これに備えるための企業の体質改善を目指したものであつたのであつて、被控訴人の主張する如きものでは断じてないのである。

(4) 右人事異動一三四名のなかに、被控訴人、訴外遠藤重夫、同広田与一の含まれていたことは認めるが、これは被控訴人が主張する如き組合攻撃と目されるべきものではない。

当時の訴外組合の委員長、副委員長、書記長の三役は勿論異動の対象ではなく、その他の本部執行委員一〇名のうち僅かに訴外遠藤、同広田の二名が異動の対象になつたにすぎない。しかも右二名の異動は、その就労の場所より見て、何ら被控訴人の称する如き組合活動に支障を来たすものではないことは明かである。

尚、被控訴人は訴外組合の役員ではなく、一組合員にすぎなかつた。

(5) 被控訴人のテレビ営業部への異動は前記の如き会社企業の体質改善の大方針より命ぜられたものであつて、新市場開拓の営業企画に新機軸を生み出すため社会現象に詳しい新鮮な感覚の持ち主を配属すべく、被控訴人の報道記者としての経験を活用しようとしたものである。

又、報道より営業への異動は、被控訴人の他にも二名のものが存していることは被控訴人も之を承知しているところであつて、被控訴人主張の如き極めて異例なものでは断じてない。

控訴人会社においては、その従業員を雇傭するに際し、その職種を特定して雇傭することは一切ないのであつて、被控訴人についても同様である。被控訴人もこれを認めるところである。

(6) 被控訴人は、本件解雇事由となつた業務命令違反行為は、前記人事異動の方式ならびに被控訴人に対する異動及び右異動に関する控訴人会社の団交拒否に対する抗議ならびに要求貫徹のために為されたものであると主張するが、前述の如く、本件人事異動に関しては、従来の方式の通りに行われたものであつて何らの不当も存在しないし、又、被控訴人に対する異動は前述の如く会社の業務上の必要より為された正当なものである。

更にこれらの個々の異動につき団交を拒否したことについては正当な理由が存する。従つてこれらに対する抗議としての行動は、正当な要求以上のものを要求する不当な組合活動と謂わなければならない。

二、無許可会社設備使用行為の違法性

(一) 被控訴人は、労使間の所謂施設協定に違反し、控訴人会社の制止、警告を無視して会社設備を無許可使用した。

(二) 右所謂施設協定とは、控訴人会社と訴外組合との間に、昭和三九年六月二三日、有効期間を昭和四〇年六月二二日迄の一年間として、締結された会社施設の一部を組合活動に利用させる協定のことである。

而して右協定書には、詳細な図面が添付され、而も之が甲図・乙図と分れ、甲図は第三条において訴外組合が争議行為に入つた場合に控訴人会社が争議行為中の組合員に対し使用を認める本館六階第三集会室又は本館屋上指定部分ならびに右指定部分に至る午前七時から午後九時までの通路を赤色をもつて、乙図は午後九時から午前七時までの通路を緑色をもつて囲繞して示しているのである。

従つて、かかる詳細な図面の添付ある協定書においては、図面による図示は、協定書の内容として協定当事者の意思を解釈する上に充分考慮されなければならない。

而して、右協定書添付図面六階の部を見るに、食堂は使用を許可することとある部分に属していないことは洵に明瞭である。

争議行為中の組合員の食堂利用問題は、前述のように右施設協定締結のための団体交渉の中において交渉され、その結果、図面により、食堂は立入許容場所には含まれないものと明示されたのである。

(三) 以上の通り、控訴人会社は訴外組合との間において争議行為(組合活動)について協定し、立入禁止区域を図面をもつて明示しているのであつて、その中に食堂が含まれていることは明白な事実である。いやしくも、協定の存する(当時施設協定の有効期間中であつたことは当事者間に争いがない)限りはこれを守るべきであり、食堂が他に無いとするならばともかく、控訴人会社の周辺においては随所に食事を摂るところが存することは公知の事実であるから、当時争議行為中であつた被控訴人(このことは当事者間に争いがない)の前記行為は明らかに施設協定違反であり、同時に控訴人会社のその場における制止・警告を無視した悪質な無許可会社設備使用として就業規則違反である。

第三、被控訴人の解雇

一、控訴人会社は、昭和四〇年七月七日、被控訴人に対し解雇する旨申し渡したが、解雇事由は前述のとおりであり、その解雇の就業規則上の根拠は控訴人会社職員就業規則第六八条、第六〇条である。

二、右口頭告知の外、念のため同日文書をもつて被控訴人に対し解雇を通知した。

第四、解雇は果して不当労働行為か

一、原判決は不当労働行為を認定しているが、控訴人会社は、被控訴人の従業員としての就業規則違反行為を対象として就業規則を適用し懲戒解雇をなしたものであつて、正当な組合活動をなしたが故に懲戒したものではない。

被控訴人の懲戒事由該当の行為は、仮りに組合の指令に基いているとしても、就業時間中の組合活動であつたり、或いは協約違反の組合活動であつて、いずれも正当な組合活動としての免責はあり得ないのであり、控訴人会社は、被控訴人が就労している以上当然の業務命令を発し例えば鉢巻の撤去を求めたにすぎない。これを、「正当な組合活動を含む行為全体」の中に入れて不当労働行為とされてはたまらない。

二、最高裁判所も判示する(最高裁判所第一小法廷昭和三七年五月二四日判決、訟務月報八巻五号九二六頁)通り、「不当労働行為の成否の判断に当り問題となるのは、解雇が理由があるかないかではなくて、解雇の理由とされた行為は労働組合の正当な行為に当るか否かである。」

果して然らば、本件解雇の事由となつた被控訴人の処為が「労働組合の正当な行為」では断じてないことは繰り返し述べてきたところであり、本件解雇は不当労働行為には該当しないことは明白である。

第五、仮処分の必要性、緊急性が認められない事情

一、本件仮処分申請に於て申請人(当審被控訴人)は本仮処分命令申請の必要性、緊急性につき申請書第七項に於て

(1) 申請人等は資産がない

(2) 賃金のみによつて生活を維持していたものである

から仮処分の必要がある旨陳述しているが、申請人は右につき特に本件解雇後の生活事情については何等之を裏付ける立証をしていないのである。

二、被申請人(控訴人)に於て調査した処、被控訴人は訴外組合から「組合員救済規定」に基き生活費(賃金と(略)同額)の支給を受けていること(右規定には返還義務の規定はない)及び健康保険料事業主負担分も同組合に於て負担支出していることが判明した。

三、かかる状況に於ては、仮処分命令申請の緊急性、必要性の存しないことは、明らかである。(大阪高裁昭和四三年六月一五日決定、前橋地裁昭和四二年一二月二六日決定参照)

四、故に、本件仮処分申請に対する原判決は失当で取消され、仮処分申請は却下されるべきである。

(証拠関係省略)

理由

一、当事者間に争のない事実

控訴人会社が民間放送会社であること、被控訴人は、昭和三二年四月一五日控訴人会社に入社し、昭和四〇年七月七日当時テレビジヨン局業務本部営業部職員であり、申請外中部日本放送労働組合(以下単に「組合」という。)の組合員であつたこと、控訴人会社は、昭和四〇年七月七日被控訴人を懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争がない。

まず、控訴人主張の解雇事由を調べるに先立ち、これと密接な関係のある昭和四〇年度におけるいわゆる春闘の労使交渉の経過および四月一日付の配置転換について検討する。

二、昭和四〇年春闘の経過

成立に争のない疎甲第三ないし一一号証、一四号証、二六号証、乙第二号証、原審における申請人西沢[日章]本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第一五ないし二五号証、原審証人大脇哲の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第三〇号証、当審証人遠藤重夫の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第八八号証の一、二、八九号証、九〇号証の二、三、九一号証ないし九五号証、当審における被控訴本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第一〇〇号証、原審証人伊藤幸三の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第五七、五八、七一、七二、八一号証と、原審証人大脇哲、同伊藤幸三、原審および当審証人遠藤重夫、当審証人大西五郎の各証言、原審における申請人西沢[日章](取下前)、原審および当審における被控訴人本人尋問の各結果を総合すると、次のような事実が疎明される。

(一)  組合(委員長西沢[日章])は、昭和四〇年二月一六日、控訴人会社に対し、春闘要求として、同年四月一日以降本給を一率八千円増額すること、当時の基本給算定方法を是正し、最低保障制を織りまぜ、いわゆる格差是正を行うこと、家族手当の増額、通勤手当の実費額支給を内容とする要求を提出し、右各項目について、三月一日までに団体交渉を開き回答するように要求した。

次いで二月二五日、さらに住宅手当を新設して一律三千円を支給すること、地域手当の算定方式を変更しないことなどの追加要求をし、さらに三月一一日には同月二〇日までに団体交渉を開き回答することの条件を付して合計七五項目にわたる日常勤務の改善要求を提出し、二月一六日には春闘態勢を強化するため、組合員全員に対してリボンを着用させた。

(二)  組合と控訴人会社にあつた包括的労働協約は、昭和三九年四月一日以降失効していたため、労使双方の間に団体交渉の方式をめぐつて争いが生じ、控訴人会社は、いわゆる団交ルールの確立が先決だと主張し、十分な団体交渉が行われるに至らなかつた。そこで組合は、これを団交拒否であるとして三月一六日団交拒否反対スト権、三月二二日賃金増額等スト権、四月一五日勤務日常要求スト権を確立した。組合は、これらのスト権確立後三月二五日、三〇日、四月一日、六日、九日、一〇日、一四日、一五日、二〇日、二六日、五日七日、一〇日に全面時限ストを行つた。

そのほか、四月一七日、テレビ局、報道局、技術局、四月二四日から二六日までラジオ局、四月二五日と二六日の両日ラジオ局、四月二八日から五月四日までテレビ局、四月三〇日テレビ局、東京支社、五月一日から四日まで東京支社、五月七日、東京、大阪支社の各一部の職場において、部分時限ストを行つた。

さらに組合は、四月一日から六日まで被控訴人および遠藤重夫の両名に対し、四月一日から七月三〇日まで広田与一に対し、それぞれ指名ストをさせた(この点は当事者間に争がない)。

また、四月一九日には永村博美外一名に対し、四月二二日には西沢ら四三名に対し、以後四月二四日には被控訴人ら四名、二五日には被控訴人ら三名、二六日にも被控訴人ら三名、二八日には西沢ら四名、三〇日には菅生煕ら二名、五月一一日には遠藤重夫ら五七名、一二日には西沢ら三五名、一三日には西沢ら二八名、一四日には遠藤重夫ら五名、二〇日には永坂利男ら二一名、二八日には被控訴人ら四名、六月五日には被控訴人一名、二四日には被控訴人ら四名、二六日には大西五郎一名に対し、それぞれ指名ストを行わせた。

その回数は、実に全面時限スト一七波、部分時限スト(指名ストを含む)等五〇波、合計七七波に及んだ。

また、これと平行して、二月一六日以降にはリボンを、三月二五日以降は腕章を、四月一六日以降は赤鉢巻の着用を組合員の全部又は一部に指令し、さらに六月一日以降は腕章、リボンに代えてワツペン(胸章)のはい用を指令した。

(三)  控訴人会社は、二月一六日付の第一次賃金増額要求、二月二五日付の追加賃金等増額要求、三月一二日付の勤務日常要求について、鋭意検討したが、賃金等については実質一人当り一五、〇〇〇円以上の増額(前年度の妥結額は三、六〇〇円余り)となり、勤務日常諸要求も冷暖房施設の改善要求の如きは約一億円の巨額の費用を要するなど相当過大な内容を含んでいた。

さらに控訴人会社は、組合と団交ルールさえ確立していなかつたので、無制限な多衆交渉による混乱を避けるため、まず、団交議題の限定、交渉担当者、人数の制限等ある程度恒定した団交ルールを確立することを考え、組合との間に意見が対立し、実質的な団交をしないまま四月一二日にほぼ前年度回答にみあう一人平均三、六二四円の増額を回答したところ、組合はこれに対し、何ら話合いをしないまま翌一三日これを拒否し、第二次回答を要求した。ようやく、四月一四日団交確認書により出席者の氏名、人数、議題を確認し合つて団交をもつルールを確立し、控訴人会社は四月二三日日常勤務要求に対する回答を、また四月二六日第二次回答として一人平均三、九二四円の本給増額回答をしたが、組合は翌二七日直ちにこれを拒否して第三次回答の要求をした。そこで五月三一日控訴人会社社長は、闘争委員長西沢[日章]宛に組合要求に対する回答を通告するとともに、同日全従業員に文書をもつて会社の回答に対する説明および企業防衛の決意を披瀝した。しかして、組合は、春闘の解決をみないまま、六月一日には夏季要求を提出し、六月三日の団交で四月遡及支給、争議責任不追求の二点を条件として妥結したい旨を明らかにしたが、控訴人会社より処分問題は別扱いにされ、六月一四日賃金増額要求は会社の第二次回答により妥結した。なお、妥結に至るまで約一一回に及ぶ団交と一回の労使懇談会による交渉が重ねられた。

また、組合の夏季手当要求は、六月二九日に一人平均一三〇、〇二九円で妥結したが、勤務日常要求については、組合は五月二六日に会社の回答は二項目を除いて全部不満である、新回答を出せと要求したが、要求項目が広範多岐にわたり、かつ巨額の費用を要するため円満妥結に至らず、結果的には四一年度への継続議題とされた。

(四)  なお、春闘終了後、控訴人会社は七月七日付で被控訴人のほか委員長西沢[日章]を懲戒解雇、副委員長を出勤停止の懲戒処分にした。さらに八月二三日付で書記長、書記次長を出勤停止、闘争委員一二名を減給の各懲戒処分にした。

以上の事実が疎明され、前掲証人大脇哲、同遠藤重夫、同大西五郎の各証言、申請人西沢および被控訴本人尋問の各結果中、右認定に牴触する部分はたやすく措信できないし、他に右認定をくつがえすに足りる疎明資料は存しない。

三、四月一日付の配置転換について

成立に争のない疎甲第七、一二、一三、三四号証、六二ないし六六号証、八二号証、前掲疎甲第一六、二五、五九号証、八八号証の一、二、九二号証、一〇〇号証、疎乙第二号証、八一号証、被控訴本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第五九号証、当審証人大西五郎の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第五五、九八、九九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎乙第四九号証と、前掲証人伊藤幸三、同遠藤重夫、同大西五郎の各証言および被控訴本人尋問の結果を総合すると、次の事実が疎明される。

控訴人会社は、右春闘の期間中、四月一日付をもつて一三四名(内組合員六七名)の配置転換を実施することとし、三月九日と一一日、組合との労使懇談会の席上においてその異動案を内示したが、その中に被控訴人、遠藤重夫、広田与一の三名が含まれていたことは当事者間に争がない。

組合は、控訴人会社に対し、三月一七日「配転の拒否、人事異動については、組合と団交を開き話し合いがつくまでこれを延期すること、今後の異動に際しては、一ケ月以上の事前協議期間を設けて充分本人が了解した上で異動を行うこと」を要求したが、控訴人会社は、人事権は原則として会社固有の権利である旨主張し、個々の人事について団交をする必要を認めないとして組合の要求を拒絶した。そこで組合は、三月二二日不当配転反対スト権を確立し、四月一日午前一〇時から三〇分間の時限ストを行い、同日組合員被控訴人、広田与一、遠藤重夫の三名は着任を拒否し、前記のとおり指名ストに入り、さらに四月一六日から六月二二日まで被控訴人および遠藤重夫に対し重鉢巻着用指令を出した。四月二三日組合は控訴人会社に対し、配転に関する公開質問書を提出したところ、控訴人会社は同月二六日「会社は放送企業に課せられた社会的使命にのつとり、放送企業発展のため、つねに有為な放送人育成を志して人事異動を行つている」旨述べて回答の要なしとの通告をしたので、翌二七日組合は、右回答に対する抗議を通告した。

ところで、昭和三九年三月末で失効した労働協約にも、人事に関する事項は労使協議会の諮問、報告事項とされていたに過ぎず、ただ通告を受けた本人が異議あるときは、労使協議会にはかり、申立を妥当と認めたときは本人に不利益を与えることのないよう措置する旨の定めがあつた。組合は協約失効後、人事同意条項等のある協約の締結を申入れていたが、逐条的協議もされず、本件配転当時は何らの協約もなかつた。

控訴人会社が発令した四月一日付配転は、大体定例的異動であり、この程度の人員の異動は従前も行われていたので、控訴人会社は従前の慣行に従い労使懇談会において事前に組合にその異動方針と人名を発表するとともに、対象者各人に内示したものであり、配転の個別的具体的理由は特に示されなかつた。それによれば、控訴人会社は、五月二日に発足する東京放送をキー局とするラジオ・ライン・ネツトワーク等放送企業の新事態に対処し、人事の刷新、合理化、幅広い放送人の育成促進等を理由として大量的配転を実施したものである。しかして、被控訴人(組合の前書記長)は報道局ラジオ報道部からテレビ局業務本部営業部へ、執行委員遠藤重夫(前委員長、組織部員)はテレビ局制作本部技術部撮像課から技師長付へ、執行委員広田与一(組織部長)はテレビ局制作本部進行部から鳴海町所在の技術局送信技術部鳴海放送所へ、それぞれ配転されるに至り、ラジオ報道局デスク要員は全部非組合員で占められることになつた。そこで、組合は右配転が組合役員および活動的組合員の職場からの切り離しを狙つた組織攻撃であり、不当配転である旨前記のとおり強く抗議を表明していた。

被控訴人は、昭和三二年四月入社後ラジオ報道部に属し、放送記者として勤務し(雇傭契約において職種、勤務場所の特約はなかつた。)、昭和三六年九月以降はラジオニユース編集デスク要員の職にあつたものであるところ、昭和三七年八月組合の執行委員(法規対策部長)、昭和三八年八月書記長(専従)、昭和三九年九月上部団体である民放労連東海地連書記次長を歴任したが、昭和四〇年春闘においては団交担当者でも職場闘争委員でもなかつた。これより先、昭和三九年九月被控訴人は組合専従を終えて職場に復帰するに当り、テレビ局進行部への配転を内示された。そこで組合は、専従協定締結の際の労使確認事項である「会社は組合専従者が復帰した場合は、原則としてもとの職場に復帰させるよう努力する」との条項に違反すると主張し、組合の反対、各職場での署名運動の結果、被控訴人は原職であるラジオ報道部に復帰した経緯がある。

してみると、被控訴人のラジオ報道部転出は、当初より予定されていた人事異動であつたところ、これを四月一日付でテレビ営業部へ配転実施されたものであり、確かにラジオ報道―放送記者(ジヤーナリスト)は一つの専門職というべきであり、テレビ営業―番組、スポツトのセールスマンとはその担当する業務内容を異にするので、配転の対象者は、経済上はともかく精神上の苦痛は免がれないけれども、控訴人会社においては、放送人の幅広化等を理由にこれまでもしばしば報道部門と総務経理、営業部門など異種の職場との人事交流が行われており、全く異例の人事ではなかつた。

以上認定のような昭和四〇年春闘および四月一日付配転の経緯から考えると、当時労働協約が失効していたため、労使間に正常な団交ルールの確立さえ容易でなかつたため、団交の不手際があつたにせよ、充分な団交をつくさないまま、組合は相当過大な要求貫徹のため、長期間にわたつて七〇波に及ぶ波状的ストライキをしつように敢行するなど、争議権を濫用した疑さえ認められる。しかし乍ら、控訴人会社の団交態度にも団交方式の確立にこだわりすぎたきらいがある。また、組合員の配転は、労働者の職種、就労の場所等の重要な労働条件に直接関連し、特に組合役員の配転の如きは、組合活動の自由確保の見地から広く団交対象事項となるものであり、これを人事権を理由に団交事項ではないと頭から拒否した控訴人会社の態度にも非難さるべき点がある。けれども使用者側の人事権を制限する労働協約も存しない以上、控訴人会社に経営上合理的理由が存し、人事権の濫用にならない限り、控訴人会社が従前の慣行に従い事前に労使懇談会の席で配転案を発表し、対象者各人に内示しただけで組合の協議または同意なく一方的に配転を実施されてもやむをえないものと解する。

しかして、本件配転については、前記認定のように控訴人会社側に一応合理的理由の存することが認められるので、春闘期間中という時期的にみて適切を欠いた点はあるけれども、右配転をもつて、組合の弱体化をはかる目的でした支配介入であるとか、組合役員又は活動的組合員であることの故をもつてした不利益取扱とは、にわかに断定できない。前掲疎甲第五九、一〇〇号証、前掲証人遠藤重夫、大西五郎の各証言および被控訴本人尋問の結果中、右認定に反し本件配転が組合または被控訴人らに対する加害目的をもつてした不当配転である旨の記載並びに各供述部分はにわかに採用できないし、他にこれをくつがえすに足りる疎明はない。

そこで進んで、前記認定のような経緯、背景の下に実行された被控訴人の各行為について検討を加える。

四、控訴人主張の解雇事由の具体例

成立に争のない疎甲第三、二七、七三号証、疎乙第一、二号証、六二、八八、八九、九一号証、当審証人遠藤重夫の証言により真正に成立したものと認められる疎甲第八九号証、九〇号証の一ないし三、前掲西沢本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第一五ないし二五号証、四九ないし五一号証、五七号証、前掲被控訴本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第五八、一〇〇号証、原審証人神谷正夫の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第四四、四七、四八号証、右四四号証により真正に成立したものと認められる疎乙第三三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎乙第三八号証、原審証人伊藤幸三の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第四九、五二、五八、七一、七二、八一号証、原審証人高橋一夫の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第五五号証の一、二、六四号証、六五、八八号証、当審証人町田秀男の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第三四号証の一、二、五〇号証、当審証人伊藤金正の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第五一号証、当審証人田島煌證の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第五三号証、当審証人須江久の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第五四号証、検甲第一号証と、前掲証人遠藤重夫、同神谷正夫、同高橋一夫、同伊藤金正、同田島煌證、同須江久、同沖本定雄、同町田秀男の各証言に前掲西沢[日章]および被控訴本人尋問の各結果を総合すると、次の各事実が疎明される。

(一)  業務命令違反

(1)  被控訴人は、昭和四〇年四月一日付の人事異動でテレビ局業務本部営業部に配転された。被控訴人を含む営業部一般職員一〇名の業務内容は、社内業務を主とする営業デスク要員(加藤忠也担当)を除き、すべて対外的な営業セールス活動を担当することとされていた。当時、営業部が担当していた対象顧客は約四一〇社余りで、うちスポンサー関係が約三七〇社、広告代理店関係が約四〇社であつた。この四一〇社余りの顧客を絶えず訪問し、連絡を保ちつつ当時いわゆる不況ムードで広告業務が沈滞している中にあつて、営業活動を継続しなければならない事情にあつたため、特に被控訴人の早急な営業活動への習熟が期待されていた。

同年四月六日午前一〇時すぎころ、不当配転反対の指名ストを解除されて始めて新しい職場へ出勤してきた被控訴人に対し、高橋営業部長は、日常業務の上で一番関係深く絶えず接触しなければならない主要な代理店関係者に被控訴人を紹介すべく、同日午後一時ころから各代理店に挨拶廻りに行く旨を指示した。高橋部長は、初対面の挨拶に連れて行くため、当日スポーツシヤツ姿で出勤してきた被控訴人に対し、営業部員としてのエチケツト等について説明し、洋服、ワイシヤツ、ネクタイを自宅から持つて来させ服装を整えさせた。ところが被控訴人は、鉢巻を巻き、腕章を着用し、左胸にリボンを着用したままであつたため、すぐにはずすように命令したところ、リボンを除き他のものは着用を止めた。当時、組合のリボン等着用指令には、テレビ画面に出るもの、社外へ出るものは例外的に取りはずしを許容していたので、被控訴人がリボンをはずさなかつたのは、同人の自由意思によるものであつた。右リボンは、幅二センチ、長さ一〇センチの黄色の布製で「一方的配転反対、要求貫徹」の文字が印刷されたものであつた。このリボンは、当日の訪問先である株式会社電通名古屋支社、株式会社産業通信社名古屋支社および株式会社三晃社では、特に事をあらだてて咎めだては受けなかつた。ところが、共同広告株式会社名古屋支社では、加藤支社長に見咎められ、「何だこれは。こんなものをつけるのはセールスマンのすることではない。大体、君達のストは大名ストだ。わが社に比べて沢山の給料をもらつていて何が不足か、こんなものをつけて君は組合の役員をやつているのか。CBCの組合のやつていることは間違つている。スポンサー筋では評判が悪いぞ。CBCの不人気は我々広告代理店に悪い影響がある。」と語気強く非難されるに至つた。そのため高橋部長は、その場をとりなし、早々に同社を辞したが、このため同日は、その他の広告代理店への挨拶を取り止めた。高橋部長は、帰社途中の車内で被控訴人に対し、右出来事を引用して、商売の道は決して甘くなく、社会の目は非常に厳しい等とその自重を要望し、特に応接態度につき注意を促した。

しかし、被控訴人は翌日以後も鉢巻、腕章、リボンの着用を続けていたため、高橋部長は、やむなく挨拶廻りを見合せざるを得なくなつた。

なお、鉢巻は、白地に「CBC労組」と黒字で染められた白い布製で、裏地が赤色である。腕章は、赤地に白文字で「団結CBC労組」と染め抜かれたものである(鉢巻はいわゆる重鉢巻闘争の時期には裏返して赤鉢巻を着用していた)。

被控訴人を除いた他の八名のセールスマン達は、いずれも組合員であつたが、社外業務に差しつかえるので、就業時間中は職場の特殊性から、鉢巻、腕章、リボン等を一切はずして勤務していたし、同僚として被控訴人に対し、取りはずすよう説得していた。

(2)  高橋部長は、被控訴人に対する教育方法として、同年四月一〇日ころから部下の一人である年輩者の沖本定雄(組合員)に命じ、被控訴人をセールスに同道させ、実際行動の体験から営業の職務を見習わせることにした。沖本営業部員は、その後数日間被控訴人を連れて、スポンサー、広告代理店を廻つたのであるが、この間被控訴人は、「仕事と組合とは別だ。特に営業部員としての仕事中は、組合の腕章やリボンは仕事を阻害するし、ひいては、会社に損害を与えることになるので、現に私が取つているように取りなさい。」との沖本の説諭、指導に従つて、腕章、リボン等をはずして勤務していた。

ところが、四月一六日に至り、被控訴人は、組合(闘争委員会)の重鉢巻闘争指令(統制事項―全勤務時間中鉢巻を着用する。社内、社外を問わず一切の除外なし)を受け、勤務時間中に赤鉢巻を着用していた。そこで須江営業部課長から「鉢巻をとつてセールスに廻るように」指示されたが、被控訴人は、組合指令を示してこれに従わなかつたので、須江課長はやむなく、被控訴人を沖本部員とともにセールスに廻るのを差し止め、その後は営業デスク要員の手伝いをするように命じた(被控訴人が勤務時間中鉢巻を着用していたことは当事者間に争がない)。

(3)  五月一一日夕刻、須江課長が被控訴人に対し、「外勤活動をするには赤鉢巻の着用は困る。社の信用に関する問題であり、営業の面からも影響があるので、取りはずすよう」指示したところ、翌一二日午後零時過ぎころ、西沢委員長はじめ組合役員らが多数営業部デスクに押しかけ、須江課長を取り囲み、「加藤(被控訴人)に鉢巻等を取りはずせといつたのは不当労働行為だが知つているか、鉢巻をして営業活動ができないか。理由を明示しろ。命令を撤回せよ」等とくつてかかり、約二〇分間須江課長を非難攻撃した。その間、須江課長は、スポンサールームに来客中の顧客を待たせる結果となつた。翌日、組合は、須江課長の鉢巻をはずせ(闘争指令に違反せよ)との業務命令は、重大な不当介入をして挑発をかけてきたものである旨掲載した組合ニユースを配布した。

五月上旬ごろ、須江課長がスポンサーである株式会社東山会館に業務上の用件で赴いたところ、広田支配人から、赤鉢巻姿をして営業活動をしている被控訴人のことを指摘されて、「加藤を会館へ寄こすな。彼の鉢巻姿も論外だがそういうものの考え方の人が私の会社へ出入りするようなことがあれば、私の会社は君の局へ提供している番組を停止せざるを得ないから承知して頂きたい。」旨強く警告された。

(4)  被控訴人は、六月二日午後、正木課長の命により、営業関係書類「ビデオリサーチ」を、株式会社電通名古屋支社内「テイールーム電通」内で商談中の高橋部長に届けた際、正木課長から「代理店の人達に接するのであるから、礼を失しないよう赤鉢巻をはずして行くように」注意されたのにかかわらず、赤鉢巻をつけたままの服装で右商談中の席に赴いたため、高橋部長および電通関係者から「鉢巻を取るように」言われたが、被控訴人は「組合の指令に基くものだから取れません」と答えてこれに従わず、その場に居合せた四人を唖然とさせた。

(5)  (イ) 控訴人会社社長は、六月八日付文書をもつて全従業員に対し、「使用者の従業員に対する指揮命令関係が中断されるのは、争議行為中のみであること、したがつて、従業員が就業中に労働組合の鉢巻、腕章、リボン、ワツペン等を着用して勤務している場合、その行為が会社業務遂行に支障を来たすと会社が判断したとき、会社は、着用を撤去するよう命令し、違反者に対しては、就業規則により措置する」旨記載した警告書を発した。そこで組合は、直ちに「会社文書“告”は不法介入」と題し、これは「会社の反組合意識の表明であつて、団結権保障の法制化のもとでは配慮するに及ばぬ法外的ゆがみという他はなく、それを理由に懲戒処分をすれば労組法七条一号の組合活動の故の不利益待遇の不当労働行為」、「それらの着用を規制する措置をとれば、労組法七条三号の組合活動へ支配加入する不当労働行為」等と記載したビラを組合員に配布し、「会社の発する業務命令に従わないこと、また職制の介入に対しては、その発言をメモし署名させ、闘争委にとどけるよう」指令したうえ、右会社の文書一二八枚をその一部(被配布者氏名欄)を切り取つて返上した。

なお、組合は、六月一日以降は夏季服装のため、腕章リボンに代えて、ワツペン(胸章)の着用を指令していたが、右ワツペンは、赤地に白で「団結、民放労連、CBC労組」と記入してある長さ一〇センチ、幅八センチほどの逆梯形型のものである(しかして、六月五日ころ受付および自動車運転手に対して、上司からワツペン取りはずし命令があり、組合員との間に摩擦を生じていた。また、六月八日スタジオ内で業務中の組合員の一部が顧客の面前でワツペンを着用し、さらに闘争委員永村は、六月一〇日から二二日までの間、同手島は六月一九日、それぞれ業務命令に反して赤鉢巻を着用したまま顧客と応待した)。

(ロ) 被控訴人は、社長の警告にもかかわらず勤務時間中、鉢巻等の着用を続けていたので、六月九日高橋部長から重ねて、社長告に従い鉢巻等を取りはずすよう注意されたところ、それは不当労働行為にあたると反抗し、発言の趣旨を記載した「不当労働行為罪状証明」と題する文書を作成し、これに署名するよう高橋部長に強要し、拒絶されると、自己の業務上机の上のガラス板の下に右文書を挿入した。その机の附近は出入りする者が多く、右文書は第三者の目につくように置かれ、右文書を読もうとすれば、たやすく読むことができ、七月七日被控訴人の解雇発令に至るまで約一ケ月間そのままの状態が続いた(被控訴人が高橋部長に対する「不当労働行為罪状証明」を控訴人主張の方法で掲示したことは、当事者間に争がない。)

(ハ) すなわち、被控訴人は、「六月九日午後四時五分、私は加藤剛君に対し、次の命令を発した。就業時間中代理店等外部からの来客と直接対人接渉する場合には、たとえ社内にあつても、鉢巻、腕章、ワツペンをはずせ。以上、右証明する。」と書いて、高橋部長に署名捺印を求めた。そこで高橋部長がこれを拒否したところ、同文書の右側余白に、赤のマジツクペンで「不当労働行為罪状証明」、左側の余白に同じく赤で「TV営業部長サイン拒否」と書き加えた。右文書は、わら半紙一枚の大きさで、赤色文字の大きさは約四センチ角であり、その他の文字の大きさは二センチないし三センチ角であり、被控訴人は、高橋部長が署名捺印するまでガラスの下に挿入しておく旨述べた。高橋部長は、これに抗議して破棄を命じ、或いは実力でこれを排除すれば、却つて紛糾の種になると考え、人事部長にその旨報告し、やむなくそのまま見過した。

(ニ) 被控訴人の業務机のある場所は、大部屋の営業部室内であるため、常時顧客が出入りし、重要なスポンサーや代理店の幹部等も一日平均数十人が来訪するところであつた。そのため、右文書は多くの来訪者の目にとまり、来訪者の中には、被控訴人の行動を心よからず思うものもあつた。六月中旬来社した産業通信社名古屋支社次長は、この文書を見て、沖本部員を呼び、「このようなことをすることは、我々の社では夢にも考えられないことだ。その点CBCさんは無法地帯のようで何とも言いようがないね。」と忠告していた。

(6)  被控訴人は赤鉢巻を着用していたため、四月一六日以降は営業部員安田儀太郎と交替して営業デスクの補助を担当していたが、六月一一日他に営業部職員が在席していなかつたため、高橋部長から業務用書類の使送、返書の受領を命ぜられ、産業通信社名古屋支社および株式会社電通名古屋支社に赴いた。その際、事前に高橋部長から、特に鉢巻などは取りはずして行くように注意されたが、鉢巻等を着用したまま右会社へ出掛けたため、同日夕刻高橋部長は電話で、株式会社電通名古屋支社町田支配人や、産業通信社名古屋支社伊藤専務取締役から、それぞれ「組合運動を対外的な営業活動に持ち込むな」等と非難、苦情を受けた。

すなわち、前記電通名古屋支社においては、丁度その場に居合せた民放各社の支局長ら数名が、被控訴人の赤鉢巻姿に驚き注目する中で、町田支配人から、「他人の家を訪問する際には帽子をとつて入るのが常識であり、特に広告代理業としては対人関係を尊重し、服装、動作に注意を払つている。その場所に鉢巻をしめて入るのは穏当でないからはずしてもらいたい。」旨注意したところ、被控訴人は、「私の方にもいろいろ都合があるのではずせない。」旨答えた。そこで、町田支配人は語気強く、「君失礼じやないか。どうしても鉢巻をといてもらえないなら社員の教育上にも悪影響があるので、出直してほしい。」と厳しく抗議した。そこで被控訴人は、やむなく出口で鉢巻を取つて、書類を手渡し、返書を受取つて業務目的をはたした。そのころ、組合の鉢巻着用指令は、業務遂行不能の時には、鉢巻を取つてもよい旨指令の遵守に可成り柔軟性をもたせていた。

また、同日、産業通信社名古屋支社において、被控訴人は、右出来事の後であつたので、「組合の指令により赤鉢巻をしているが、どうしても取れと言われるのなら取つてもよい」旨述べたところ、同社の伊藤専務取締役は、「私の方は君の会社CBCという放送会社と取引をしているのであつて、組合と取引をしているのではない。営業マンの心得を知らぬ筈でもないCBCの営業部員がそんなことでは困る。それでは会社が損害を蒙るだけだ。自分で進んで取つてほしい」旨忠告した。

そこで高橋部長は、翌九日両社を訪問して陳謝し、その後控訴人会社の代表取締役小島副社長および伊串取締役が株式会社電通名古屋支社(当時、同社は控訴人会社の売上の約三分の一を取り扱つていた最も重要な広告代理店である)へ事情の釈明および陳謝に赴いた。なお、株式会社電通名古屋支社から、この日の被控訴人の件に関し六月二一日付で控訴人会社社長宛抗議の左記書面が寄せられた。その書面中には、控訴人会社と組合との昭和四〇年度春闘が開始されて以来、すでに三ケ月余を経過するも妥結に至らず、得意先関係においても、漸く批判ひんしゆくの声もたかまりつつあること、最近、組合員中に常軌を逸した行動を散見し、組合員が鉢巻姿のまま業務連絡のため来訪したこと、電通名古屋支社では、新聞社、スポンサー等関係者の来訪が極めて多いが、鉢巻姿で来訪した者は未だかつてないこと、電通社内においては執務時間中の組合活動は厳しく規制しており、社内の服務規律の維持、社員のしつけ、エチケツト向上の見地からも誠に迷惑であるので、当該組合員に対し厳重なる戒告をして今後再びかような行動のないよう十分処置してもらいたい趣旨の記載がされていた。

(7)  六月中旬ころ、控訴人会社の広告放送のスポンサーである寿がき屋食品株式会社社長菅木周一が来社した際、被控訴人が赤鉢巻を着用したまま執務していたため、右菅木社長は、高橋部長に対し「就業時間中、会社の命令に違反している人がふえているようでは、民間放送としてまことに困る。秘密なことの多い宣伝を安心して任せられない。私の方も取引につき考えなおす」と取引停止の措置もあり得る旨ほのめかして強く非難した。

(8)  被控訴人は、六月一八日大脇営業部次長の命により広告代理店である株式会社大広名古屋支社へ業務上の書類使送のため赴いたが、その際も赤鉢巻姿のままの服装であつたため、ここでも同支社の田島次長と衝突した。すなわち、田島次長から「訪問先の客の前に来てまでなぜ鉢巻が取れないのか。CBCの社員といえどもサービス業務ではないか。デパートでも銀行でも組合闘争はあるが、店員が鉢巻姿で物を売り、行員が鉢巻姿で客に接しますか。少なくともお客には接客らしい態度をしてもらいたいものだ。元来、鉢巻姿というものは、仇討ちの象徴ではないか。これを一歩ゆずつたとしても、帽子の類であろう。訪問先の室内で帽子を取らずに話をすることは無礼というものだ。」と強く諭されたのに対し、被控訴人は「これは組合の指令により組合活動としてやつているのだから私に言つてもらつても困る。むしろ、早く妥結するように会社に言つてほしい。そうすれば、この鉢巻も解決する」旨述べ、鉢巻をはずそうとしなかつた。そこで田島次長は、「それではその封書は受け取れない」旨述べたので、被控訴人はやむなく玄関の外で鉢巻をはずし、出直して田島次長に封書を手渡すことができた。

これについて、同日中に田島次長から電話で「今後かかる非常識な行為をする者のないように」と強硬な抗議を申入れられたので、後日控訴人会社の重役二名が陳謝に赴いた。

(二)  無許可会社設備使用

(1)  昭和三九年三月三一日までは、控訴人会社と組合との間に労働協約が存在していたので、組合は右協約に基く手続により会社の許可を得て組合活動のため会社施設を使用できることとされていた。労働協約が失効した後、昭和三九年春闘の中で、労使双方が交渉の結果、昭和三九年六月二三日いわゆる施設協定が成立し、同日から昭和四〇年六月二二日までの一年間その効力を有していた。右協定は、控訴人会社に使用予定がない場合、組合の申入れに応じ、組合活動のため特定の施設を使用することを許可し、所属組合員にこれを使用させることとし、組合が争議行為に入つた場合には、職場滞留を禁止する趣旨から、控訴人会社が使用を許した本社六階第三集会室、屋上の一部指定部分、社屋内の一部の指定通路、社屋外の一部を除き、組合は会社の施設を使用することを認めない旨規定されていた。右協定締結の際、組合側は、人道上の立場から、スト中の組合員にも食堂、エレベーター、ロツカー等の使用を認めてもらいたい旨要求したが控訴人会社は、ストライキに便宜を与えることはないとしてこれを拒否したので、結局控訴人会社のCBC会館本館六階の会社施設である食堂は、争議行為中の組合員は利用できないことと定められた。

(2)  しかるに、被控訴人は、指名スト中四月一日午後一時ころ右食堂に立入り食事をした(この点は当事間に争がない)。

そこで、同所に居合せた控訴人会社常務取締役安藤春夫が食堂に入つてきた被控訴人を発見し、争議行為中だから労使間の施設協定により直ちに退去するよう注意警告したが、被控訴人は「組合の指令である」と言つて右注意警告を無視して、そのまま居坐り食事をした。

(3)  さらに四月三日午後一時三〇分ころ、右食堂に指名スト中の被控訴人および遠藤重夫が立入り食事をした(この点も当事者間に争がない)。

その際控訴人会社人事部勤労課長田沼良一がこれを発見し、「スト中のものがここに立入ることは施設協定違反である。即刻退出するように」注意を与えたところ、右両名と居合せた西沢委員長は、こもごも「組合の闘争指令によるものである。会社は施設協定を拡張解釈している」旨抗弁し、また遠藤は「反動がうようよしていてめしがまずくなる」等と言つて、そのまま食事をした。

五、控訴人会社およびテレビ営業部の特殊性について

前掲疎乙第一号証、五五号証の一、二、八八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎乙第四五、四六、四九号証と前掲証人高橋一夫、同伊藤幸三、同須江久、同沖本定雄の各証言を総合すると、次の事実が疎明される。

(1)  控訴人会社は、放送関係法規の規制を受ける民間放送会社であるため、政治的中立性の保持、その他公正な報道機関として事業活動を行う責任を負つている。したがつて、控訴人会社は、従業員の服務規律についても、いやしくも事業の公共的性格を没却することのないよう求めている。

(2)  控訴人会社は、広告媒体である放送電波を商品として販売し、これを唯一の収入源としている。商品としての放送電波の媒体価値は、ステーシヨン・イメージ(公衆の放送局に対する心情的評価)や、視聴率の総合的実績・放送局としての生産能力等の総和をもつて構成されるが、これが広告業界において定評を獲得するに及んでその放送局の営業活動の分野における信用(営業上のステーシヨン・イメージ)を形成する。放送会社のスポンサー、広告代理店との商取引は、この多分に人の心情に依存する信用と慣行によつて行われ、この信用が失われれば、それを理由に一方的に取引が解消されることもある。なお、この信用には、スポンサーの広告計画の秘密を守る秩序ある放送局であるとの信用も当然に含まれる。このような事情にあるため、広告代理店、スポンサー等の取り扱いについて事業経営上、格段の配慮をなさざるを得ない。しかも、かつては控訴人会社が地元の民間放送として独占的企業であつたが、最近では競争会社の出現により業界における競争が激化していた。そのため、特に右信用を背景ないし基盤として直接右関係者と日常接触し、営業活動を行う従業員は、取引の基礎となる信頼関係を保持し、たかめるため、これらのものに対する折渉、接遇について遺漏のあることは許されず、この間における従業員の服務規律は厳正に保持すべきものとされていた。

(3)  しかして、被控訴人の勤務するテレビ局営業部は、広告主を選択して番組、スポツト等を販売する業務等を分掌している。すなわち、営業部は控訴人会社の収入源をほとんど一手に支える重要部門であり、その財源となる顧客など外部に対して常時会社を代表して接触し、商行為を行つている唯一の収入窓口であり、その販売実績の推移がそのまま直接控訴人会社の経営面に大きな影響を与えることになるので、対外接渉には特に機微なものがあり、広告代理店(当時広告放送契約の九九パーセントは代理店を経由していた)に対しては、殊のほか意を用いられていた。

六、解雇事由となつた行為の評価

そこで、被控訴人の解雇事由となつた前記具体的行為について、その背景となつた以上認定にかかる昭和四〇年春闘の経緯、四月一日付配転の事情および控訴人会社の特殊性を考慮して、以下順次これを検討する。

(一)  業務命令違反等の行為について

(1)  組合員のリボン、腕章、ワツペン、鉢巻(以下リボン等という)の着用行為は、本件においては、昭和四〇年春闘および四月一日付配転反対等の闘争の一環として、組合(闘争委員会)の指令に基き、いわゆる争議行為として行われたものではなく(スト中の組合員の着用は、附随的争議手段となるに過ぎない)、要求貫徹までの長期の闘争にそなえて、組合の団結を示威し、あるいは組合の控訴人会社に対する抗議表明の手段として行われたものであることは明らかである。

問題は、右行為が就業時間中の組合活動として行われたことである。労働協約(疎乙第二号証)存続中は「組合は組合活動を就業時間外に行う。ただし……組合の正規の手続きにより会社が認めた場合はこの限りでない。」(三一条)と定められ、例外的場合を限定列挙してあつたが、昭和三九年三月末右協約が失効した後、控訴人会社は、しばしば就業時間中の組合活動は一切認めない旨の警告をしていた。もとより、組合員である従業員は、雇傭契約の本旨に従い、就業時間中は労務提供の義務を負つている関係上、これと矛盾牴触する組合活動を就業時間内に行う余地はない。したがつて、リボン等を着用することが円満な労務提供を阻害するものであれば、就業時間内の組合活動として規制されてもやむを得ないが、その反面、労務提供に支障なきかぎり、組合員たる従業員は、就業時間中自由に団結権の示威行為をなし得るかというに、それは左様に簡単に肯定することはできない。

この場合、組合員のもつ団結権の尊重のみならず、使用者のもつ法益をも考慮し、これを比較衡量し、具体的に決しなければならない。一般的には、当該リボン等の大小、色彩、表現内容、着用目的のほか、使用者の業種、着用者の職種、勤務場所などを考慮し、その着用が労務提供に支障がなくとも、使用者の業務の正常な運営を妨げるおそれのあるときは、就業時間中のリボン等の着用は許されないものであり、然らざるときは許容されるものというべきである。

これを本件についてみるに、被控訴人が着用したリボンは、前記のとおり、幅二センチ、長さ一〇センチの黄色の布製のもので、「一方的配転反対、要求貫徹」の文字が印刷されてあるが、第三者が注意してみなければ、その着用を見落してしまうような程度のものであり、被控訴人はこれを左胸に着用して挨拶廻りに出掛けたものである。控訴人会社の業務の特殊性を参酌し、たまたま労働運動を嫌悪する顧客に不快感を与え非難された事実のあつたことを考慮に入れても、右の程度のリボン着用行為は控訴人会社の業務の客観的に正常な運営を妨げるものといい難く、正当な組合活動としてこれを受忍すべきであると解するのが相当である。したがつて、控訴人会社のこれが取りはずし命令には合理的根拠がないから命令不服従の責を問うことは許されない。

(2)  次に被控訴人の就業時間中の赤鉢巻着用行為について検討する。前記認定のような控訴人会社および職場の特殊性に鑑みると、被控訴人の赤鉢巻着用行為が業務上の服装規律を要求されるテレビ局営業部という職場における円満な労務提供と両立するかどうかについては、特に業務の性質上、第三者に与える影響を看過することはできない。もとより、組合がいかなる態様の組合活動を行うかは、その必要に応じ、自ら選択決定するものであり、その決定は使用者側の措置態度と密接な相関関係のあることは否定できないし、被控訴人の赤鉢巻着用行為が組合の闘争指令に基き、四月一日付配転に対する抗議手段としてなされたものであることは明らかである。しかし、組合指令に基いて行動したからといつて、当然には違法性を阻却しないし、すでに認定したような控訴人会社側の四月一日付配転の過程における措置、態度を考慮してみても、控訴人会社の業務の特殊性等からして、第三者に不快、反発感を与えるような被控訴人の赤鉢巻着用行為が、円満な労務提供と相容れる正当な組合活動とは、にわかに解し得ない。殊に、被控訴人が上司より、来客との対人接渉の際には、赤鉢巻を取りはずすよう再三命令されていたにかかわらず、右命令に反して赤鉢巻を着用したまま対外的営業活動を行つたため組合指令に基くものである旨事情を説明したとはいえ、代理店や顧客から「営業マンとして非常識である」とか、「組合運動を対外的活動に持込むな」などと苦情を受けたり、「赤鉢巻を取らなければ、文書を受取らない」と言われてやむなくこれを取りはずすなど被控訴人の業務遂行上、少からず支障を生じたものといわねばならない。のみならず被控訴人の右行為につき、主要代理店から控訴人会社へ文書又は口頭で抗議が来たり、これを理由として取引停止をほのめかす顧客があり、これがため控訴人会社重役が取引先へ陳謝に赴いたりしては、控訴人会社の正常な業務の運営を阻害したものといわざるを得ない。

したがつて、このように客観的にみて、就業時間中の赤鉢巻の着用が使用者の正常な業務の運営を妨げるおそれのある場合には、使用者は、組合員たる従業員に対し、いわゆる業務命令をもつてこれを取りはずすよう適法に命令を発しうるものと解すべきところ、被控訴人が右命令を無視して勤務時間中赤鉢巻を着用し続けた行為は、正当な組合活動とはいえないし、業務命令違反の責を免れることはできない。

(3)  更に被控訴人が六月九日高橋部長の赤鉢巻等取りはずし命令に対し、組合の指令に従つてその発言をメモし、署名を求めたところこれを拒否されたため、抗議行為として、「不当労働行為罪状証明」と題する文書を作成し、これを公然第三者の目に触れる場所に置いたことは、右文書の表題として使用された語句や内容字句とも、穏当でなく、その手段方法として上司である高橋部長の名誉、信用を傷つけるに十分であり、到底正当な組合活動とはいえない。

(二)  無許可会社設備使用について

いわゆる施設協定は、争議行為中の組合員の職場滞留(附随的争議手段として実効性のあるのは全面ストおよび職場単位の部分ストであるが、指名スト中のものの職場滞留も含むものと解する。)を禁止する趣旨から成立したものであつて争議中の組合員に対しては、控訴人会社六階の食堂施設の使用を許していないこと、被控訴人が指名スト中右食堂を利用したことは前記認定のとおりであり、形式的には右施設協定に違反して許可なく会社施設に立入つたものというべきである。

しかしながら、被控訴人が右食堂に立入り食事をしたのは組合活動のための施設利用とは何ら関係なく、一般従業員の日常の福利施設利用行為として許容された範囲を逸脱したものとはいえない。しかも、これにより他のスト不参加従業員らの食堂利用行為が妨げられたとか、実質的に控訴人会社の施設管理権を侵害され業務を阻害されたことを認めるべき疎明もないから、就業規則六八条所定の懲戒事由にも該当しない。

七、不当労働行為について

してみると、控訴人会社がこれら一連の組合活動等を理由として被控訴人に対する処分としてなした懲戒解雇の意思表示は正当な組合活動のみを理由とする不当労働行為を構成するものとは認められない。もつとも、被控訴人が組合の前書記長であり、解雇当時は上部団体である民放労連東海地連書記次長の地位にあり、熱心な組合活動家であつたこと、および被控訴人と同時に組合の委員長西沢[日章]が違法争議の幹部責任を追及されて懲戒解雇されたことは、当事者間に明らかに争がないところであるが、そのことの故をもつて、控訴人会社に不当労働行為意思があつたものとは推断できない。

したがつて、本件懲戒解雇を不当労働行為とする被控訴人の主張は理由がない。

八、解雇権の濫用について

控訴人会社の従業員は、その職務について上長の指揮命令に従い、通達を守る義務があること、またその職務の遂行については体面を汚すような行為をしてはならないことは、控訴人会社職員就業規則(疎乙第一号証)により明らかである。

しかして、前記認定の事実によると、本件解雇の主要な理由となつた就業時間内の被控訴人の赤鉢巻着用による組合活動、(高橋部長に対する名誉等毀損行為を含む)は、就業規則六八条所定の、同規則に違反し、業務上の命令を怠つたものとして懲戒事由に該当するものというべきである。

被控訴人の赤鉢巻着用行為は、組合の指令(前記説示の次第で被控訴人にこれを強制することは客観的にみて違法というべきである)に従つた結果によるものであるが、被控訴人は違法な組合指令に従つたことの故をもつて当然に業務命令違反の責任を免れることはできない。すなわち、組合の違法指令は、これに基き行動した当該組合員の違法行為を正当化し得ない。

しかしながら、組合員として右組合指令に従う義務と、従業員として業務命令に従う義務との関係は困難な問題であり、被控訴人として、いずれに従うべきかその判断に苦しむことは推測するに難くないところであり、また、組合が控訴人会社のした四月一日付配転に対する抗議手段として、合法性について疑問がもたれるような行動をあえて指令したのに対し、被控訴人は、組合員の指導的地位(組合の前書記長、当時上部団体である民放労連東海地連書記次長)にある関係上、組合の統制を乱さないため指令遵守のやむなきに至つたことが窺われる。さらに、高橋部長に対する名誉等毀損行為について、被控訴人が「不当労働行為罪状証明」なる文書を作成発表したのは、組合指令に基くものではないが、当時異常な争議状態下で、組合が控訴人会社社長告および職制のリボン等取りはずし命令に対し、不当労働行為である旨強く抗議意思を表明していたため、被控訴人が組合の意思に従つて、上司である高橋部長を誹謗するような行き過ぎた行為に出たものと推測できるし、右文書の表現自体は穏かでないけれども、自己の机の上のガラス板の下に挿入したのみで対内的発表をしたに止まり、外部に公表したものではないので名誉等毀損の危険性は少なく、高橋部長もこれを了知しながらそのまま存置させていたものであり、その被害も軽微である。また一方、控訴人会社が被控訴人を報道局ラジオ報道部のニユース編集デスク要員からテレビ局営業部のセールスマンへ配転した人事異動は、職種を全く異にし、被控訴人の過去の経歴、資質、能力等から考えて、はたして適材適所の原則にかなつた適切な人事といえるかどうか疑問なきを得ないし、高橋部長ら上司が右のように頑強に赤鉢巻を着用し続けている被控訴人の日常行為を知りながら、あえて被控訴人に対し、重要な取引先である広告代理店へ書類の使送を命じ、却つて外部とのトラブルを招いた点にも責任の一端があるものといわねばならない(なお、被控訴人主張のように控訴人会社が被控訴人に対する処分理由を創出するため、右広告代理店と通謀連絡のうえ、赤鉢巻を着用する被控訴人に書類使送の業務命令が発せられたことを認めるに足りる疎明はない)。

そこで、以上認定の諸事実および赤鉢巻着用行為は他の違法行為と比較し非常に悪質なものと認められないこと、被控訴人をして控訴人会社の再三の禁止にかかわらず赤鉢巻着用行為を敢てなさしめたのは、前述来の長期にわたる険悪な労使関係のもとに、民放労連東海地連書記次長等の閲歴から、組合員として率先垂範の実を示さんとする余り組合指令を忠実に実行せんとしたことに由来したものと窺われないでもないこと、被控訴人の赤鉢巻着用行為が前記のごとき取引上の紛議を醸した一因は、被控訴人の右行為がたまたま労働者の闘争を嫌悪する一部顧客の感情を思いのほか刺激し、これがひいては使用者たる控訴人会社の経営方針等に対する反発としてはね返つた結果であつて、労働者の団結権を保障する憲法のもとにおいて、顧客らの右のごとき態度の是非はさておき、その責任の一端は前記のごとく控訴人会社にも帰せられるべきものであること、被控訴人としても、かかる機微を全く無視し、控訴人会社の取引上被ることあるべき不利益に敢て介意することなく赤鉢巻着用行為に及んだわけではなく、その都度顧客に対しこれが弁明をなしあるいはその誤解を解くべく努力した事跡が窺われるのみならず、赤鉢巻着用行為の結果としてそれ程甚大な損害を控訴人会社に与えたものと認められないこと、その他諸般の事情を考慮して、被控訴人の前記赤鉢巻着用行為および高橋部長に対する名誉等毀損行為を検討すると、被控訴人のした行為は、就業規則所定の懲戒事由には当るけれども、控訴人会社の業務を著しく阻害して職場秩序を乱し、かつ信用を失墜させる等会社に重大な損害を与えたものとして、企業秩序を維持、確保するためやむなく解雇せざるを得ないような事由には未だ該当しない。しかも、控訴人会社の就業規則六九条には、懲戒処分として解雇に至るまで六段階の定めがあり、本件争議に関し、懲戒処分を受けた他の組合役員との権衡上から考えても、本件懲戒解雇は、被控訴人に対し極めて過酷な処分であつて、客観的妥当性を欠き、控訴人会社の有する裁量権の範囲を著しく逸脱し、解雇権を濫用したものとして、その処分は無効というべきである。

そうであれば、被控訴人は、なお、控訴人会社の従業員たる地位を有するものであるところ、本件解雇当時、被控訴人が月額平均五〇、八九三円の賃金の支給を受けていたことは当事者間に争がなく、右支給日が毎月二三日であることは控訴人会社において明らかに争わないから自白したものとみなすべきである。

九、仮処分の必要性について

前掲被控訴本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、解雇以後、控訴人会社の従業員として取扱われず就労を拒否されていること、および別段の資産を有しない賃金労働者であることが疎明される。さらに、控訴人会社が本件解雇後、被控訴人に対し、控訴人会社内の五階組合事務所およびそれに至る最短通路を指定し、右指定通路を除く会社社屋への立入を禁止していることは当事者間に争がなく、前掲疎甲第一〇〇号証、乙第四八号証および被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人が右指定通路より逸脱するときは、警備員等の実力によつて規制を受け、五階の組合事務所へはエレベーターの使用も許されず、すべて階段を昇降せねばならず、便所も地階に指定されたものを使用せねばならないこと、さらに東玄関入口や通路に面した各所に「立入禁止」の貼紙を掲示されていることが疎明される。それ故、本案判決の確定に至るまで右状況を続けるときは、被控訴人が本件解雇によつて蒙る精神上の苦痛および経済上の損害は著しく大きいので、本件仮処分をする必要性があるものというべきである。

もつとも、成立に争のない疎乙第九一号証、九二号証の一ないし五、九三号証、九四号証の各一ないし四と、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎乙第九五号証に前掲西沢[日章]本人尋問の結果によれば、組合には、所属組合員が組合活動に関連して解雇処分等を受けた場合に備えて、「組合員救済規定」が設けられ、必要な救済を実施し、本件解雇後も被控訴人に対し、右規定に基き、組合員の臨時拠出等により賃金相当額の生活援助金の支給がなされていること、同規定には右援助金の返還義務に関する規定は存在しないので、単なる貸付金等ではなく、被救済者の必要限度の生活維持資金として可成り安定性を有するものであること、および被控訴人に対する健康保険料事業主負担分も同組合において負担支出していることが一応認められる。けれども、かかる組合の救済措置自体、被控訴人の解雇による生活の困窮を救うためのあくまで臨時的、応急的措置にすぎないから、かかる事情があるからといつて、本件仮処分(特に賃金支払を命ずる仮処分)の必要性を阻却するものとは認められない(なお、行政処分の執行停止と仮の地位を定める仮処分とは、制度の目的および必要性の要件を異にするので、控訴人挙示の判例は本件に適切でない)。

一〇、結び

よつて、被控訴人の本件仮処分の申請は正当であつて、これを認容した原判決は、理由は異るが結論において相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、民訴法三八四条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤淳吉 井口源一郎 土田勇)

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